記事の内容
- 言葉、法よりも感情を
- あなたにとって何がほんとうに大事なのか
- 決まりきった家族の形なんてあるのか
この映画のすごいところは、上のような点です。いい映画でしたね。
今回の記事では、感想をまとめるとともに、一歩深く考えてみましょう。
このシーンとか良かったですよね。
感想
かわいそうだから助ける。それでいいじゃないか。
法も、血のつながりも関係ない。
助けたいんだ。
感情だ。
「法」や言葉で考えようとするから人は、"良い悪い" という二元論に陥ってしまう。
現実はそう簡単に割り切れないということを知っているのに、いざという時には、言葉に支配されてしまう人たち。
この映画のタイトルだけを見て批判する人だっている。まさに言葉の操り人形のようで、ため息しかでない。
目の前に助けを求めている人がいる、それなら助けたい、この感情こそが人間にとって最も大事だと思う。その他の様々な議論をするなら、まずはここを押さえておくべきだ。
言葉、法の内側にいるだけなのか?感情まで何かに操られているのでは?
たとえば、「人殺し」だって、言葉と論理で考えれば、いくらでも相対化できる。つまり、議論によっては人殺しが正当化されてしまう。戦争などがそうだ。
なぜ人を殺してはいけないのか。
「人は、人を殺したくない」だから、人殺しはダメ。これが本質だと私は思う。そう、ここでもポイントは感情なのだ。
京極夏彦氏の著作にて、こんなセリフがあった。
「人が人を殺さないのは、人だからです」
この感覚に、私も近い。
感情と人か。
感情があった上での言葉・論理なのだ、と思う。
それなのに、自分の感情まで、社会に、他者に操られている人々。言葉に言葉で返す反応が、ステレオタイプなものだけになってしまう。これでは、簡単なAIによって置き換えられる。
ダメなものはダメだ、と怒る前に、もっとその内実を自分の頭で考えてみてはどうだろうか。
何かに操られるのではなく、自分の頭で、自分がしたいことをする。
この映画の家族には、選択があり、絆があり、何よりも感情があふれ出ていた。
そんな強さは、思考停止している私たちを、言葉の外に連れ出してくれる。それほど豊かな感情は、圧倒的な感染力をもつ。
さあ、何を考えようか...
・安藤サクラの存在
この人の存在感と言ったら...
「愛のむきだし」を見て以来、彼女のことがトラウマだったんですよ。演技うますぎて嫌になるという。なかなかこんな役者はいないですね。
filmarksやってます
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