宗教と修行
武田邦彦氏が、「宗教における修行」というテーマで面白い分析をしていた。
彼は、いつも科学者として鋭い分析をしてくれる。
宗教、信仰心、修行による心身の変化、無意識などのテーマに関心がある私にとって、とても興味がある内容だ。
今回の記事として、まとめてみたい。近年流行っている「マインドフルネス」にも関係がある内容だ。興味がある人にとっては、とても勉強になると思う。
武田邦彦
【武田邦彦】 瞑想と修行の秘密 マインドフルネスに興味ある人必見
こちらの動画の内容をまとめたい。きになる人は、もちろん音声を聞いてみてほしい。
彼の本もじっくりと読みたい。
なぜ修行がある宗教とない宗教があるのか
彼の疑問は、「なぜ修行がある宗教とない宗教があるのか」というものだ。確かに、言われてみれば気になる。
話の概要を以下にまとめる。
修行がいる宗教といらない宗教がある。
お釈迦様は厳しい修行をした。
マホメットはあるときに突如、お告げを聞いた。
何で修行は必須じゃないのか?
人間の認識における、入力と出力。人間は大脳に支配される。
修行とはどんな状態か?
大脳の判断から外れること。
遺伝子の指令を聞くことが残る。
心を無にする。感覚を研ぎ澄ます。日常の認識系を捨てる。
古い脳、遺伝子の指令を聞けるようにする。
神の声というのは、遺伝子の指令なのではないか?
自分の命よりも、子供の命を大事にする。
自分の命よりも、群れの命を大事にする。
利他的。
遺伝子に書いてある。
生命の歴史における真理が遺伝子には描かれている。遺伝子が命じるところをふさいでいるのが大脳。大脳は、生まれてから数十年の経験しかない。
修正する手段が、修行。
修行しなくても、修行した人の話を聞けばいい。
遺伝子の指令を聞ければ、人格が高くなる。なぜなら、遺伝子は12億年の生命の知恵を持っているから。
実際に自分で修行をするか、修行した人の話を大脳的に理解するかの2択。
これが、宗教において、修行があったりなかったりする一つの理由ではないか。
修行とは大脳の判断から外れること
これはわかりやすい。
それでは、大脳の判断とはなんだろう?
仏教では、言語哲学とも言われるように、言語の使い方と認識の関係を見直していく。そして、理屈、論理と言語は切れない関係にある。ということは、大雑把に言えば、大脳の判断とは言語を伴う判断といえるかもしれない。
普段の我々の思考は、言語、言語の集団である常識などによって規定されている。言語によって思考は大きく影響されるのだ。それならば、言語が違ったら、どれほど思考も変わるのだろう?この疑問に答えるいい本が次だ。ぜひ読んでみてほしい。いつか記事にしたい本だ。
しかし、世界の有り様は、私たちの使っている言語ではつかめない。これは、西洋哲学でも、認識論、言語学などで主流となっている考えだ。カントから始まる相関主義もそうだろう。
だからこそ、仏教などの宗教は、言語を否定する。
言語を否定した先に、ありのままの世界があるのだ。その有り様を「空」という。
その空を体感したものこそ、悟ったものと言えるだろう。
仏教にも様々な宗派があり、悟りの定義も、悟るための修行方法も様々である。
次の記事で、仏教、空について簡単に触れている。
さらに、言葉と認識の関係について、次のような記事も面白いとおもう。言葉がどのように存在を作るのか、分析できる。
神の声とは、遺伝子の声?
武田氏の子の指摘は面白いと思う。彼の他に、専門としてこういう説を唱えている人もいたような...
「神」をどう定義するかによるが、いわゆる一神教的な神は存在しないと思う。ここでは、生命が12億年かけて蓄積してきた知恵が神だというわけだ。
確かに、生命論や遺伝子について勉強すればわかることだが、遺伝子という記号によって、生命の連鎖が続いていることが理解出来る。今、こうしてこの記事を書いている私自身の細胞一つ一つに遺伝子が保存されている。そこには、とんでもないほどの年月を超えた「情報」が蓄えられている。
ということは、その情報に少しでもアクセスできた方がいい。それを人為的に成し遂げよう、という体系こそが、修行なのだろう。
しかし、仮にそれが可能だとしても、どの程度可能なのだろう。そして、「遺伝子の声を聞く」とは、具体的にどのような感じなのだろう。
ここまでくると、現状の科学で使われる言語では、なかなか表現しにくい。数千年の歴史がある、伝統的な宗教の体系を紐解いてみるしかないのかもしれない。
科学として、「心」をどう捉えるかという成果も大事だ。次の記事がおすすめである。
まとめ
・修行とは、大脳の判断から離れ、遺伝子の声を聞くこと?
・実際に自分で修行をするか、修行した人の話を大脳的に理解するかの2択がある
今回の話は、「マインドフルネス」というものを深く考えてみるのにも有効だろう。さらに深掘りして行きたいテーマだ。