好きをブチ抜く

「好き」をブチ抜く

本、映画、科学、哲学、心理、すごい人の考え方など。あらゆる情報を編集したい。

ヒトは「いじめ」をやめられない 【書評・要約】 人類学・脳科学からわかるその理由

記事の内容

 

なぜ「いじめ」は無くならないのか?

その誰もが思う疑問に、科学で答えるのがこの本だ。

 

 

脳科学者の中野信子が詳しく解説してくれる。

今回の記事では、「人がいじめを止められない理由」に焦点を当て、まとめてみる。

 

 

 

 

いじめは、種を残すための人間の機能

 

人は、生存するために集団を作ることを選んだ。そして、「高度な社会性」が人間という種の生存力を上げた。

 

では、その社会性の敵とは何か?

 

その集団の内側にある「非協力者」だ。

だから、脳は、非協力者を見抜く「裏切り者検出モジュール」と呼ばれる機能をつくった。

 

集団のために役に立つことをしようという「向社会性」は、集団のためには必要だ。しかし、それが高まりすぎると反動が起こる。

 

・排外感情の高まり

自分たちとは違う人々に対する敵対心

 

・いきすぎた制裁行動

ちょっと違うだけの人や、常識とずれる人、見た目がとくに可愛い人、などに対して制裁感情が発動する。

 

 

 

 


[中野信子]子供から大人まで、人は”いじめ”をやめられない、脳科学での解決策はあるのか?

 

 

こういった動画も参考になると思う。

 

 

 

 

 

オキシトシン

 

愛情ホルモン。

 

愛情や絆、仲間意識にかかわる。

 

しかし、いきすぎると妬みや排外感情も高めてしまう。

仲がいいほどいじめが起きやすくなる。

 

集団は理性を鈍化する。

どんなに仲がいい集団でも、集団となることで、争いはより簡単に起きるようになってしまう。

 

 

 

 

セロトニン

 

安心ホルモン

 

リラックスしたり、満ち足りた気持ちにする。セロトニンの低下は、鬱病にもかかわる。

 

日本人のセロトニンの量には傾向がある。「慎重な人・心配性な人」、「空気を読む人」が多くなる。

 

この結果、集団内の裏切り者を見つける傾向が強くなる。

 

 

 

 

 

ドーパミン

 

誰かに対して制裁行動をとることは、本来はそんな行動だ。リベンジされるなどのリスクがある。

 

ではなぜ人は、制裁行動を行うのか?

 

制裁行動に、快感を感じるからだ。

 

とくに、快感の経路は、自分が生きていくために必要なものを得る時や、子孫を残すために必要な行為をするときに活性化する。

 

制裁行動が、非合理的な行為なのにもかかわらず、「快感」を与えなければならないほど必要なものだったと言える。人間という種が生き残るために。

 

いじめの始まりは、「間違っている人を正す」という気持ち。この正義感がとてつもない快楽になる。

 

ネット炎上などもそう。

自分の正義感が満たされ、承認欲求も満たされる。さらには、集団で叩くことで、理性が弱まってしまう。ドーパミンが出始めると、理性のブレーキは通用しない。

 

 

 

 

 

なぜ「いじめられる側にも原因がある」と言われるのか

 

いじめる側には、「自分は正義を行なっている」という無意識的な満足がある。そして、正義という快感中毒になっている。

 

だから、理屈は通じない。

 

いじめる人も、いじめを傍観する人も、担任の先生も、みな日本人の傾向である慎重型が多い。

だから、みな「裏切り者検出モジュール」が発動する。よって、いじられる人の特徴に対して、無意識的な同調が起こっているのではないか。

 

 

 

 

 

いじめの悪意は見えにくく、止めにくい

 

子供たちが邪悪な集団に変わるのは容易。

 

子供の脳は未発達で抑制が効かない。いじめをやめるなと言っても、通じない。

 

子供にとっていじめは楽しいことであり、いじめている側に力と正義を感じさせてくれる。

 

いじめる側の規範意識は強くなり、自分たちは意地悪をしているのではなく、みんなに迷惑をかけている人に制裁を与えているのだ、という意識を持つようになる。

 

さらに、いじめる側は、自分たちの行為をそれほど深刻なものだとは考えていない。

 

 

 

 

 

 

人のどうしようもなさ...

 

ここからは、私の感想です。

 

やっぱり、人ってどうしようもないなあ、と。

 

心理学や脳科学などの知見は好きで、よく学んではいる。しかし、見えてくるのは、人という生物のどうしようもなさだ。これは、理性から見ると、なんともやりきれないものがある。

 

interaction.hatenadiary.jp

 

 

 

人はやはり生物だ。それならば、生物特有の性質を持つ。その結果が、人を死に追いやるほどの「いじめ」とは、なんとも残酷な現実だ。

 

そして、いつでも加害者になりうるというのが怖い。現に、毎日のように起こるネット炎上など、大人でもいじめ構造からは逃れられないことを示している。

 

こうして、いじめに関する本を読んだところで、ある状況にハマれば、私自身もいじめる側に立ってしまうのだ...

 

これが、この本の意味するところである。

 

うーん...、人が人である限り逃れられない因果か...

遺伝子のせい、ともいえるか?

 

いじめへの対処療法は、本書でも述べられている。しかし、本書の結論は、いじめは無くならない、だ。

 

人類が生み出してきた知恵。

つまり、科学や哲学、宗教などによって、少しでも「本能」から逃れることはできるのだろうか。

 

少しずつ本能を抑えることは可能だ。それは、数々の知恵を人類が生み出してきたことが証明している。個人としては、限界を認識しつつも、なんとかもっと有効に使っていきたい。

 

 

 

 

詳しく読みたい方は、もちろん本書を購入してみてほしい。