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【働かなくていい時代が来る?】 本当に自由になるか?何に時間を使うか?

記事の内容

 

「働かなくていい時代が来る」

 

こんなことを予言する人たちが存在している。

 

 

未来のことはどうなるのかわからないが、「働く」という概念が大きく変化することは間違いないだろう。それに、従来の意味で言うような労働の時間は、やはり、減っていくはずだ。いずれにせよ、人工知能が私たちの労働をやってくれるようになる。

 

それならば、時間ができたわたしたちは、何をすればいいのだろうか?

 

・遊び力

・楽しみとは、人から与えられるのではなく自分で作るものだ

・教養とは、自分で楽しみを作る力

・時間が何よりも大事

 

個人的には、こんなキーワードが浮かんだ。きちんと考えてみる。

 

 

 

 

 

 

何よりも大事なはずの「時間」

 

まずは、根本的なところを改めて確認したい。

 

それは、時間がなによりも大切だ、ということだ。

 

「時は金なり」ということわざがあるが、これは誤解している。お金なんかよりも、よっぽど「時間」のほうが大切である。原理的には、時間を操作することは人間にはできない。

 

だから、限られた時間を何に使いたいのか、よく考えるべきである。

 

そんな大切な時間を労働に使わなければいけなかった。多くの人は、働くことに時間を使いたいとはおもっていないはずだ。好きなことが仕事になっている人以外は。

 

さて、労働が減るという方向へ進むならば、時間ができるはずである。この何よりも大切な時間を何に使うのだろうか?

 

 

 

 

 

私たちは何に時間を奪われているのか

 

さて、労働時間が減ったところで、私たちの自由な時間は増えるのだろうか?

 

本質を考えよう。

 

自分の自由な時間とは何か?

 

「自分がやりたいことが今できている」、これが自由な時間であると定義しよう。

 

それなら、「自分のやりたいこと」とは何か、分かっていることが核になる。

 

つまり、時間ができたところで、自分のやりたいことをできていなければ、意味がないのだ。私はそう思う。

 

次に考えるべきことはこうだ。自分のやりたいことができていないのならば、その原因はなんだろう。

 

簡単に言うならば、

 

他人に時間を使われている

他人の時間を生きている

 

ことが原因だと思う。

 

さらに深掘りする。

 

 

 

 

 

他人に時間を奪われている

 

他人があなたの時間を奪っている。

 

具体例を考える。

 

仕事や労働もそうだ。時間を代償に賃金をもらう。ほとんど、だれかが作ったルールのもとで、労働者は使われる機械だ。(だから、AIに仕事を代替されるのはあたりまえでもある)

 

他のわかりやすい例を挙げよう。

 

それは、テレビだ。現代はだいぶ変わったが、少し前まで国民はみなテレビを見ている状態だった。そこでは、テレビ、メディア側が儲けるために、私たちの時間を奪っていた。

 

貴重な時間を無駄にしているという意識を芽生えさせないように、テレビはしてくる。テレビ側もビジネスでやっているからだ。そのために、私たちは、常識や価値観をうめこみ、踊らされることになる。これもすべて、一部の人が得をすることにつながる。この本質こそ、その一部の人に多くの国民の時間が奪われていることを意味するのだ。

 

他人の価値観で生きることは、自分の時間を生きることとは真逆の行いである。

 

もう一度、強調する。

多くの人の時間を奪える人に、金は集まるのだ。ほとんどの人は、この儲けの構造によって、時間を搾取される。これは別に悪いことではない。多くの人を魅了できるほど、価値があるということでもある。

 

しかし、搾取される側にいることが本位かどうかは、各個人で考えるべきだ。

 

例えば、自分が見たくてテレビを見ていても、それは他人に時間を奪われたことになるのだろうか?自分のしたいことができているではないか。

 

答えはイエスだとおもう。やはり他人に時間を奪われている。

 

本当にこれが私が望んでいることなのかどうか。これは、自分自身にもわからない場合が多い。つまり、「自分がやりたいこと」も、他人にすでに操作されているのだ。

 

またテレビを具体例にあげる。家に帰宅すれば無意識にテレビのスイッチを入れてしまっている状態である。ここに、自分の「思考」はない。よって、自分の無意識的な行動を疑うべきだ。それを繰り返してはじめて、自分のやりたいことに近づき、それをできるようになっていく。

 

自分の時間を生きるということの本質が見えてきただろうか?

 

 

 

 

 

自分の楽しみは自分で作る

 

これもでの認識をふまえ、自分の時間の使いかたについて、抽象的に考える。

 

楽しみは人から与えてもらうもの

時間とは与えられているもの

他人の時間を生きている

 

 

これらの反対として、

 

自分の楽しみは自分でつくる

自分の幸せは自分でつくる

 

 

こうした転換こそ、時間を何に使うのかが鍵になる時代では、より重要なのではないか。

 

 

 

 

教養

 

そこでひとつの方法として、私は教養というものを重視している。なぜならば、

「教養とは自分がわかることだ」

「教養とは楽しみを作る技術だ」

 

と考えているからだ。

 

これらは、「遊び力」とも関係があると思う。

より詳しくは、次の記事を見てほしい。

 

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やはり、本質を知っている人は、未来に何が変わらないのかを知っている。彼らの知恵を借りるのは、とてもいいことだとおもう。

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