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【東浩紀】思想、人文知をなぜ守るべきなのか

東浩紀の叫び

 

先日、東浩紀氏が話をしている動画を目にしました。

東氏の問題意識は、次のようなものでした。

 

・哲学や思想、人文知、リベラルとは?
・死にかけているこれらを未来に残すには?

 

 

 

東浩紀の主張

 

www.youtube.comこの動画のタイトルは大げさすぎですね 笑

 

上に挙げたような論拠を直接的には説明してはいないものの、次の主張が私には刺さりました。だからこそ、こうしてブログで誰かに紹介したい。

 

人間は、民主主義にもリベラリズムにも耐えられない。だからこそ尊い。だから守る必要がある。これが出版社、書店の使命だ。

 

思想、批評は抽象性が大事。目の前で役に立つかどうかではない。

 

多くの人間にとって、民主主義やリベラリズムはそもそもしんどいこと。

 

だからこそ、それらは貴重なものになる。

それを誰が守るのか?出版社や書店のそもそもの理念とはそういうものだったはずだ。目先の売れる本、金儲けに走りがちな出版業界への警鐘として彼は話していた。

 

 

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無くなってほしくはない本がたくさんある...

 

 

 

 

 

マイナーな思想を守るためには

 

尊いものは、なぜ守らなければならないのか?

知的財産とはいうが財産ってなんだ?

 

形のあるものは大勢が守ろうとしやすい。世界遺産がそう。納得しやすい。でも、これの正体ってただお金になるからなのでは?形あるものなら、お金になるというのを隠しやすいのか。

 

多くの人が賛同するという根拠。それだけでいいのか?少数派の意味は?

 

一方、思想はマイナー。大事だと共感できる人は少ない。ではどうやってマイナーなものの価値を根拠付ければいいのか?大事だと思う人が多いか少ないかではなく、マイナーな考えが役に立った歴史的事例を根拠にしなければならない?

 

歴史の大きな転換は、少数の者たちの思想だった。学問界での新発見、革命家、国のリーダー、政治家。どれも一部の優れた人間が指導したものだ。

 

人間という生物は、集団に合わせる性質を持つ。つまり、大多数が同じ思考をしていく。そのため、集団、社会を変化させるには、マイナーな思考が必要である。

 

 

 

 

変化するべきなのか?

 

では、なぜ変化が必要なのか?変化するべきだ、と言っていいのか?

 

科学の話に入る。

生物は常に変化しているもの。進化し続けなければならないもの。その進化が良いか悪いかは歴史にしかわからない。その生物種が生存していくには、とにかく変化が必要。つまり、「変化するべき」ではなく「変化するのが生物だ」というべきか。

 

それならば、マイナーである思想が人類全体にとって変化をもたらす可能性がある。だから、人類の財産になる。だからこそ守るべきだ。歴史から見れば、確かにそうだった。

 

しかし、その根拠づけを探っていったら、生物の性質、進化などに行き着いてしまった。つまり、「人類という生物種にとって何が必要か」という視点が欠かせないように思える。この領域になると、文化人類学、進化論などの科学の仮説を取り入れなければならない。

 

 

 

 

価値観を科学によって基礎づけられるか

 

何を守るべきかという価値観の話に、科学による根拠づけをすることになってしまう。あんいに科学と価値観を結びつけることは、いつも危険性を伴う。優生学が差別を招いたように。

 

・科学をどう扱うか

・倫理や価値観について

 

この二つをよく議論している哲学の出番な気がする。


くわえて、財産ってなんだよ、とつっこみたくなる。財産なら守るべきものなのか?それは誰が決めるのか?財産という言葉を根拠に使うなら、この言葉の定義が明確である必要がある。それに、その定義に誰もが納得していなければならない。

 

うーん、考えれば考えるほど、言葉の定義の問題に行き着く。

 

ポイントは、財産、価値、誰にとって、というところだろうか。これを定義することの難しさは大きい。

 

そして、言葉を言葉で定義することの難しさも感じる。だからこそ、学問は対象を限定しているわけだ。

誰にとって、という部分には、先ほど挙げた「人類という生物種にとって何が必要か」という視点があがってくるのかもしれない。

 

 

 

 

 

個人か社会か

ここまで来て、 ちょっと視点を大きくしすぎな気がします。普遍的な理由をもって、人文知の大切さをとなえることはとても難しいのでは?という予感。

 

しかし、個人のレベルまで下げて考えれば、私自身にとっては明確です。思想や哲学、文学という人文知は生きるのにめちゃくちゃ役にたった。救われた。だから、他のしんどい人にとっても助けになるはずだ。だから守っていきたい。この感情は明確です。それに人文知は最高の教養になる。

interaction.hatenadiary.jp

 

 

 

 個人としての動機。こちらの記事でも触れられています。

philo1985.hatenablog.com

 

こちらでも、人文知を守ってゆくべき一番大切な理由として次をあげています。

人文知は、悩んだり、苦しんだりして生きている人たちの役に立つ。

 

すごい同感。

けれど、「その苦しみに人文知が役にたつ」これを他者に実感してもらうにはどうすれば...?

現状、実感できている人がそもそも少なすぎる!!マイナー。だから、人文書が売れず、薄っぺらいビジネス書、自己啓発本が売れる。

 

 

 

  

一方、こちらでは視点が高く、社会的、学問的に分析されている。

takashiyamashita.hatenablog.com

 

よく生きる上で、「全体性」という視点が必要になってくる。この必要性を理解するためにも、学問や人文知の一定の理解が必要だ、というわけだ。

 

上の記事では、宮台真司氏の名前が挙げられているが、彼の全体性への分析は大変共感出来る。この本が最高に刺激的だった。社会学、宗教学、科学哲学の融合。

サイファ覚醒せよ!―世界の新解読バイブル (ちくま文庫)

サイファ覚醒せよ!―世界の新解読バイブル (ちくま文庫)

 

 本ブログでも、以前に紹介している。世界と全体性について、興奮ですよ!

 

interaction.hatenadiary.jp

 

 

うーん、明確な結論はまだまだえられませんね。普遍的な根拠づけの難しさを痛感...

 

本ブログが誰かの自由につながったのなら、うれしい。