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科学者はなぜ神を信じるのか 【書評・まとめ】 それでも "神" が必要だ

科学 VS 神

 

みなさんは、科学と神の関係をどのように捉えているでしょうか?

 

科学が進めば神なんていらない、という見方が一般的でしょうか?

 

けれど、そう思う人にとっては衝撃的なデータがあります。

国連のある調査で、過去300年の大きな業績を上げた科学者のうち、8〜9割の者が神を信じていたそうです!!!

大多数の科学者は「神」を信じている – アゴラ

 

「どーゆうこと???」

ふつう、神と科学者って最も相容れない組み合わせなのでは、と感じるでしょうか。

 

今回の記事では、そんな問いに物理学者はどう答えるのか、ということをまとめたいと思います。

 

記事を読み終えると、一筋縄ではいかない神と科学の関係を目の当たりにすることでしょう。科学というものをより深く考えるきっかけになるはずです。

 

 

科学者はなぜ神を信じるのか コペルニクスからホーキングまで

 今回紹介するのは、こちらの本です。

 

著者が物理学者なこともあり、物理学の発展の歴史を丁寧に追ってくれます。とくに、相対性理論量子論という入り口から、最新の宇宙論まで解説してくれるのはありがたい。宇宙論に興味がある読者にとっても、とても楽しめる内容でしょう。

 

一流の物理学者が「神」についての考察をする。こういう科学哲学的な領域は、哲学者の口から聞くことが多いものです。自然科学者である物理学者から、神について、信仰について聞く機会はなかなかありません。そういう意味で貴重な本ではないでしょうか?

 

 

 

 

著者にとっての神

物理学者である著者。本を読めばわかるように、宇宙論を解明していく先に導かれる仮説や、数式の解釈についてはまだまだ議論が多い。そんな宇宙論研究の先端にいる彼は、この世界はどのように作られているのかについて、考えざるえないのでしょう。物理学を極めることで、物理学の外側が見えてくるイメージです。

 

科学法則は「もの」ではないので偶然にはできません。宇宙創造の前には必然的に科学法則が存在したはずなのです。では、科学法則は誰が創造したのでしょうか。

 

私自身は、科学法則の創造者を「神」と定義しています。ルールが存在するということは、その創造者である神が存在するということだ、と考えるのです。

 

これが、物理学者である著者の神の定義です。

 

先端の宇宙を研究していく中で出てくる数式、科学法則。それらは、現宇宙が成り立っていることがどれだけ奇跡的なことなのかを教えてくれます。この本を読むと、宇宙論がたどり着いた微妙なバランスが、数式に表れてくることに驚かされます。たしかに、何者かが意図的にデザインしたとしか思えない!!

 

つまり、

 

科学法則・・・作られたもの、設計されたもの、デザインされたもの

 

としか思えないというのです。科学法則が先になければ、この宇宙は誕生しないのですから。

 

 

 

 

 

宇宙すべてを理解することはできない

 

科学法則という「はじまり」、これをデザインしたものが神。それならば、その神を作ったのは何??

 

このように、はじまりにはキリがない、と著者は指摘しています。

 

どこまでいっても、宇宙をすべて理解した、と言いきることは決してできないはずだからです。

 

その先端、「ハシ」がどうしても存在してしまう。

「ハシの存在=科学法則のはじまり=神」こんな等式がイメージしやすいかもしれません。

 

「神なんて必要とせず、宇宙のはじまりは理解できる」

これこそ思考停止であり、科学的態度ではない。

 

この議論は、以前も考えたテーマに近いものがあります。全体性、世界などです。それが次のようなものです。

 

 

 

 

 

 

神、宗教がなくならない理由

今回の本の主張は、以前読んだこちらの本と近いと思います。記事にもまとめています。

interaction.hatenadiary.jp

科学が世界を説明できるようになればなるほど、世界はシンプルな公理と推論規則から導出される定理によって記述できるようになっていきます。

 

しかし、
「何で E=mc**2 で、E=mc**3 じゃないの」という「端的な事実」=「前提を欠いた偶発性」をめぐる問題が浮上する。

 

科学が世界を説明できるようになればなるほど、実はその説明自体によっては説明されない「端的な前提」が可視的になってしまう

 

なぜあいつだけ、容姿が恵まれているのか。

なぜあいつだけ、容姿が恵まれるようなDNAを持っているのか。

なぜ隣の町だけに災害が起こったのか。

なぜこの世界は、この数式で表せるのか。

 

これらの「なぜ」は説明できない。

 

つまり。説明ができない領域がどうしても存在してしまう!!

この事実がわかるでしょうか?

 

 

 

 

 

物理学的な聖書

物理学者である著者が、聖書を書き直すならこんな感じにするらしい。物理学と神が共存する様が伝わってきて面白い。

 

初めに神は物理法則を創られた。そしてエネルギーの塊から物質と反物質を創られた。物質の方がほんの少し多かった。同量の物質と反物質は消滅しあい、エネルギーに戻った。ほんの少し多かった物質が残った。

そして神は天地を創られた。

 

 

 

 

 

神についての疑問

たしかに、誰かがデザインしたようにしか思えない。それがこの世界だ。これはそうなのでしょう。

 

しかし、科学法則を”作った”、これはなんだか、人格的、人間目線のような気もします。「ルールとは誰かが作ったもの」普通に考えればそうですが、必ずその「作り手」「創造主」の存在が必要なのでしょうか?

 

科学法則が先になければ、この宇宙は誕生しない。この論理は、ほんとうに妥当なのでしょうか???

 

科学法則は「もの」ではないので偶然にはできません。宇宙創造の前には必然的に科学法則が存在したはずなのです。

 

ここにツッコミどころはないのでしょうか?

議論をもっと探りたいところです。

 

 

 

 

 

 

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まとめ

・科学法則の創造者を「神」と定義

・論理では、どうしても説明できない領域があること

・「ハシ」の存在から、宇宙すべてを理解することは不可能

 

どれもさらに掘り下げるべき深い問題です。継続的に考えていきたいテーマですね。

 

 

本記事が誰かの自由につながったのなら、私はうれしい。