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『凄い人・本・映画・概念・理屈』に "感染" した結果、生きやすくなった男のブログ。学問から「個人の知」まで。

私たちはどこから来て、どこへ行くのか (森達也) 【書評・まとめ】科学に「いのち」の根源を問う

大いなる問い 「私たちはどこから来て、どこへ行くのか」

 

 私は誰か?

 なぜ死ぬか?

 何を信じるか?

 

今回紹介する本の帯に書かれている問いかけです。

こんなテーマについて、誰でも考えたことがあるのではないでしょうか?

 

しかし、もっと真剣に、それらテーマを考えた機会は少ないのかもしれません。そもそも、考える材料を得るのが難しい分野です。ある程度の教養が染み込むまで、時間もかかります。

 

今回の記事では、これらテーマを考えさせられる本を紹介します。

 

記事を読み終えると、「私たちはどこから来て、どこへ行くのか」という大きな問いについて、さらに深く考えられるはずです。

 

 

 

 

 

私たちはどこから来て、どこへ行くのか:科学に「いのち」の根源を問う

 

今回まとめるのがこの本。

ジャーナリスト、映画監督の森達也が、一流の自然科学者たちに哲学的な問いを投げかけていく。

 

HowではなくWhyと問うことでみえたのは、科学者たちの葛藤や煩悶の声だった。最先端で闘う科学者たちに「いのち」の根源を問いかける、森達也の新境地!

 

筑摩書房 私たちはどこから来て、どこへ行くのか ─科学に「いのち」の根源を問う / 森 達也 著

 

一人一人の科学者達はやはり、膨大な科学の経験がある。謙虚で慎重でもある。そんな彼らが、哲学的な問いに対してどう答えていくのか。とても魅力的だ。全編を通して、深い議論が続く。

 

今回は、一部だけでもまとめてみたい。

 

 

 

 

 

著者について 森達也

森達也は、ドキュメンタリー映画や、鋭い日本社会批評で有名だ。オウム真理教ドキュメンタリー映画が世界的にも評価されている。彼の社会を分析する眼は、本当に重い。すごい人材だと思う。

 

佐村河内氏のドキュメンタリーが最近の作品である。気になる方は、以下のような動画を見てみてほしい。


映画「FAKE」森達也監督独占インタビュー

 

映画FAKEについては、こちらでまとめています。

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長沼毅(生物学者)にきく

 

宇宙に生命はいるか

 

・あらゆる存在のエントロピーは増大する。けれど、なぜこの宇宙はその方向に進むのか?

 

・生命活動が小さな渦になることにより、宇宙全体のエントロピー増大を効率化させる。

 

・「我々は何者か?」

→生命や地球は、宇宙が早く熱的死を迎えるために存在している。生命は、宇宙のターミネーターのよう。

 

・「人はどこからきて、どこへ行くのか」 への、彼の答えもシンプルでいい。

 

「私は男だから卵子を持っていない。だから私は卵子から生まれて死ぬ。そこで終わり。」

 

 

 

 

 

 

村山斉(物理学者)にきく

 

宇宙はこれからどうなるか

 

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・ビックバン以前は「わからない」としか言いようがない 

 

・我々は何者なのか?

→宇宙創世記に物質と反物質がほとんど消えてしまった後に残された僅かな物質の末裔。お釣りのようなもの。

 

・宇宙はうまくできすぎているように見える。天文学的な偶然のおかげで、今の自分がいる。「畏怖」を感じるほどに。

 

・知性ある存在が宇宙をデザインしたとするインテリジェントデザイン仮説

→研究の先に、宇宙に意志を感じることもある。我々の宇宙は無数にあるうちの一つだとするマルチバースという考え方もある。

 

 

 

 

 

 

池谷裕二脳科学者)にきく

 

 なぜ脳はこんな問いをするのか

 

 ・脳は「自分ってなんなんだろう」という問いを考えずにはいられない。脳がそういう質問をしてしまうこと自体が鍵を握るのでは。

 

・言語の副作用

言語は、心の射程距離を伸ばしてくれる。しかし、本来は考えなくていいことまで考えてしまうようになった。

 

「自己を問う」というのは、無限ループに陥る。「自分とは何か?」の答えに対して、「その答えを出している自分とは何だろう?」と、無限後退に陥る。

無限の定義ができるのは言語だけ。言語には、文法があり、その文法は再帰性入れ子構造)を持っている。

 

言語と無限、自己言及、ここら辺は関心あるテーマです!!興味ある人は次もどうぞ。

 

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・生命がいることで、宇宙全体のエントロピー増大の効率が良くなる。私たちは宇宙を老化させるために存在する?「私たちは何のために存在するか」の答えがこれとは、身も蓋もない...

 

・人に似せたアンドロイドを造るモチベーションは科学的にはあまりない。性行為をすれば、子供ができるのだから。

 

アイデンティティは錯覚。それを錯覚とみなす主体も錯覚。これも無限ループ。心と脳を別と考えると、心を観察する自分という発想が生まれてしまう。脳と心、機能と構造は同じもの。それらの正体は、神経活動のイオンの渦。

 

・科学の限界についての一言も、実に脳科学者らしい。

科学の定義は、自然現象を人に理解できる言語で記述することですから。あるいは記述できたような気になって満悦すること、と言い換えた方が正確かもしれません。

 

・認識するとは歪めること。そうしなけらば、人間は考えることができない。歪めるという機能が、私たちにとっての心であり、考えるプロセスそのもの。

 

 

 

 

 

 

竹内薫(サイエンス作家)に聞く

 

科学は何を信じるのか

 

・日本の科学は分業しすぎている、全体をまとめるものがいない

 

・日本の科学者は、自分は何のためにそれをしているのかという哲学的な問いを発しない

 

・超越的な存在が世界を作ったとする欧米、もともと世界はあったとする日本

 

・ネズミに素数という概念が無いように、人間という種の認識システムにも限界がある。だから、「神」は無くならない

 

人間の脳と記号体系で推測できるのはどこまでなのかということは、非常に興味深い問題だと思います。

 

・数学というシステムは、宇宙を完全に記述できるほど強力ではないように思える

 

数学という体系についての次の指摘はおもしろい。

論理的に可能性があるということは、数学的に可能性があるということです。そして、数学的に可能性があるということは、その物理理論ができるということです。

 

・神や大いなる意志の存在抜きに、「人はどこから来てどこへ行くのか」考えることは不可能か?

 

・宇宙は何者かによってデザインされたのか?現状、否定も肯定もできない

 

・量子のふるまいと、人間の心の不思議は似ている

 

・量子のふるまいと、超常現象の見え隠れ

ここら辺をまともに議論するのは、本当に難しそう。

 

・生命は情報だと考えられる。しかし、個人が死ねばその情報もどんどん薄まり消える。それならば、絶対的な「神」はいないのでは?

 

 

 

 

 

 

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教養

 

こういったテーマは、あなたの人生にとってどんな意味を持つでしょうか?

 

「どうでもいいよそんなこと」と思う人だってたくさんいるはずです。

 

しかし、中にはこんなテーマを吸収することで、より楽しく、生きやすくなれる人もいると思います。私もその一人です。

 

こういった教養を、私はとても大事なことだとおもっています。

教養=自分がわかること と私は定義したい。次の記事に書いています。

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まとめ

 

・科学はhowは問えるが、whyはわからない

・先端の科学者はみな謙虚で、断定をしない

・表題のような大いなる問いについては、「わからない」

 

みな口々に「わからない」と、答える。そして、森達也自身も「わからない。だから、あがき続ける」と最後に表現するのが印象的だった。

 

やはり、科学にはある限界がある。では、それはどんな限界なのか?そして、その限界と人間はどのように付き合えばいいのか?とにかく大事なのは、どこかで思考停止してしまわないことだろう。もっと科学とは何か、哲学とは何か、考えられるはずだ。

 

深いテーマに触れられる、とてもいい本だった。

 

 

 

本ブログが誰かの自由につながったのなら、私はうれしい。

 

 

科学と非科学の間 【書評・まとめ】 科学は、イエスかノーで答えてくれない

科学か、非科学か

 

原発の安全基準の数字は?絶対安全なの?」

「そのワクチンって、絶対効果あるの?」

 

私たちは、これらの答えを科学に求める。

 

しかし、そんな科学は、はっきりとした答えを返してくれるのか?

 

さらに世の中には、「科学っぽいけど、なんか怪しいもの」が溢れている。商品や人の発言など、SNSのおかげで、ますます増えているのではないか。

 

そんな中で私たちは、科学とどう付き合っていけばいいのか。そのヒントを、「科学と非科学の間」という本からもらってみよう。

 

 

 

 

 

科学と非科学の間 その正体を探る

科学と非科学 その正体を探る (講談社現代新書)

科学と非科学 その正体を探る (講談社現代新書)

 

 

著者 中屋敷均について 

分子生物学者。著書は、「ウイルスは生きている」など。

 

 生命とは何か、気になる人は次のインタビュー記事が参考になると思う。

honz.jp

 

 

今回の本は、生命学者ならではの視点が多かった。生命を専門とする学者から見て、「科学とは一体なんなのか」「科学とは何でないのか」が、まとめられている。

 

「科学は生きている」という著者の言葉にもあるように、科学という歴史を生命に見立てている視点も勉強になった。ただ、またてるだけでなく、その内容の分析も鋭い。ぜひ読んで見てほしい。

 

 

 

 

 

 

科学が持つ2つの顔

 

科学には二つの側面があるという。

 

・社会に「信託」を下す装置としての科学
・この世の法則や真理を追究する科学

 

そして、重要なのは、科学という営みは何を前提にしているのか、だ。

 

科学の柱となる方法が、帰納法演繹法だ。


帰納法演繹法を採用するためには、ある前提を要求する。

 

「この世界は同じことをすれば、同じ結果が返ってくるようにできている、という仮定」だ。

 

しかし、現実には、同じ条件を2度と作ることはできない!!!!

 

 

たとえば、創薬を考えよう。本当にその薬が効くかどうかを調べるために、実験では条件に制限をしている。しかし、現実には無限の組み合わせがある。調べきることができない。

 

社会が関わる科学ではほとんどがそうだ。実際の無限の可能性を調べている時間はない。

 

だから、絶対に正しい、100パーセント正しいと、科学は言えないのだ。

 

現実的な問題に対しては、イエス/ノーで答えられないのが科学なのだ。

確率で答えるしかない。

 

 

真理、法則を求める科学と、元来100%の正しさなどあり得ないことを前提とした科学。


この2つの側面が社会ではごちゃごちゃになっているのが問題だ、と著者は指摘する。

 

特に、社会との関わりの中で大きなテーマになったのが原発だろう。「安全基準の数値」これも、「安全か安全でないか」の2択には原理的にならない。

 

 

 

 

科学という方法そのものへの批判を、しっかりと議論しているのが科学哲学という分野だ。どのように科学を考えていけばいいのかのヒントがたくさんある。次の記事を見て欲しい。

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科学と非科学はどう分けるのか?

 

科学の歴史は、未知の領域の中から新しい真実が生まれ続けるというもの。

 

今後も、どんどん新しいことが見つかり、正しいと思われていたものが否定される。つまり、科学だと思っていた対象が、突然、非科学のレッテルを貼られることがある。その逆もそうだ。

 

それならば、科学と似非科学の線引きはどうすればいいのか?

 

著者はこういう。

科学的であるかどうかは、

 

対象、内容ではなく、人間の姿勢によるのだ!

 

 

科学的な研究態度、非科学的な研究態度は、これなら分けられる。

そして、科学的な態度とは、修正による発展のことだ。

 

 

しかし、これは、ある対象について、科学と非科学の線引きなど簡単ではないことを意味する...

 

 

 

 

 

科学は生きている


科学の発展のさまは、生命の適者生存に似ている。たくさんの仮説が否定され、良さそうなものは長く残っていく。またそんな仮説すらも、いつ否定されるかわからない。

 

これらのことは、科学の説のどれも「不動の真理」ではないことを論理的に導く。科学的であればあるほど、100%正しいことなどないのだ。あるのは、どれくらい確からしいのかということだけだ。

 

権威主義は、生きている科学、つまり、科学の発展の可能性を殺してしまう。科学全体の信頼をも殺してしまう可能性がある。

 

「科学こそが、最も新しく、最も攻撃的で、最も教条的な宗教制度」という、ファイヤアーベントの言葉にも、著者は触れている。

 

 

著者自身が印象に残っている言葉としてあげているのが次だ。とても重要な見方だと思う。

 

「科学的真理とは、その時つける最善の嘘である。」

 

 

 

 

 

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まとめ

 

全体的にエッセイ調でとても読みやすい。専門である生命論的な視点も新しい。

 

また、著者の科学者としての姿勢と、生の人間としての姿勢との間の、葛藤のようなものも見える。その間を照らす、「人間の意志」というものに可能性を感じている様は印象的だった。

 

この「人間の意志」という論点は、かなりきわどい。オカルトやスピリチュアルに分類されることが普通だ。しかし、科学の先端というものは、著者が言うように非科学と接近するところにある。今後の科学に期待したい。

 

 

 

 

 

運命論を哲学する【書評・まとめ】 「運命」ってなんなんだ??

運命ってなんだ??

 

今回紹介する本は、「運命論」を哲学するというものだ。

 

この運命という言葉、誰でも気軽に使っていると思う。

 

「あれは、運命だった」

「運命によって導かれたんだ」

 

しかし、運命という概念、深く考えようとすれば、なかなか奥が深い。

 

自分自身の生活に密接であるこの概念を、哲学という手続きによって考え直してみる。これは、とても楽しく役に立つだろう。なぜなら、自分の人生にとても関わるものの見方だからだ。

 

今回の記事では、この本の肝となるアイデアをまとめてみる。

 

 

 

運命論を哲学する 著者について

 

 

入不二基善

分析哲学が専門。ウキペディアの彼の名字についての話が面白かったので、載せておく。

入不二基義によれば、入不二(いりふじ)という珍しい名字は、大乗仏教の経典『維摩経』に出てくる「入不二法門」(にゅうふにほうもん)の話に由来するという[3][4]。「入不二」(にゅうふに)とは善と悪、生と死、真と偽といった二項対立型の概念について、それら二つのものは本来ひとつのものである(不二)ということを知る、悟る(不二に入る)といった意味の言葉。

 

 

森岡正博

生命の哲学が専門。早稲田の教授。

 

 

 

 

 

入不二の「運命論」入門

 

この本では、入不二による運命論を様々な角度から考えていく。

 

ここでは、その基礎となる考え方をまとめられたら、とおもう。もちろん詳しくは、本書に進んでほしい。

 

彼の運命論とはこうだ。

 

「あるようにあり、なるようになる」

 

これが、彼の運命論で言いたいことだ。この一言の内実を少しでもわかるように、まとめたい。

 

 

とくに、次の考え方がキーワードである。注意してほしい。

 

「二つの側面が互いに終わりのない運動を続けていく動きそのもの」

 

 

 

 

 

現実の「現実性」

 

・唯一性 今目の前に起こっていて、体験しているこの現実のこと。中身のこと。

 

・全一性 今目の前にあるという中身にかかわらず、「現にあるものが現にある」ということ。つまり、構造のこと。

 

これら2つの性質から、現実の2種類の側面が浮かび上がる。

 

・相対現実 唯一性からは、現実の中身が入れ替わることがわかる。

・絶対現実 現実という構造は、中身にかかわらず絶対だ。

 

 

 

終わりのない無限運動

 

私たちのとっての現実とは、この相対現実と絶対現実が近づきあう運動そのものなのだ。これは、終わりがなく、無限運動である。

 

相対現実を、私たちは、「このようなものがある」と感じる。

絶対現実を、私たちは、「あるものがある」と感じる。

 

「このようなものがある」

「あるものがある」

 

これら二つの表現を同時に満たすものが、私たちの現実なのだ。

 

それが、「あるようにある」という言葉である。これが、「終わりのない動きそのもの」である現実(2つの側面を両立させる)を表す。

 

 

 

運命と時間

 

運命には、時間という側面もある。時間も立場によって、いろいろと議論はあるが、彼の運命論では、時間を「なる」という言葉との関係で扱う。

 

・ある これまで扱ってきたように「存在」のこと

 

・なる 時間制がある。

    ・中身 相対 「このようなものになる」

    ・構造 絶対 「なるものがなる」

    

ここでの、「なる」の構造的な絶対性は、過去・現在・未来を貫き、それらの差を無くすものだ。これを入不二は、ベタ塗りという言葉で表現する。

 

時間にも、二つの側面があるのだ。この二つの側面も、現実の時と同じように、お互いに終わりのない運動を続けている。よって、二つの表現を同時に満たすものとして、「なるようになる」と表現出来る。

 

 

 

ここにきて、「あるようになる」と「なるようになる」という二つの側面が用意できた。

 

ここで彼の運命論の図式ができあがる。

 

「あるようにあり、なるようになる」=「現実」=「運命」

 

 

 

 

運命と自由

 

さらに面白いのが、自由と運命の関係をも扱えることだ。

「すべては運命によって決まっていた、それならば、自由はないのか?」

 

では、自由とは運命にとって、私たちにとって何であるのか、も考える必要がある。

 

実は、「自由」にも二つの側面があるのだ。

 

・決断できること 「何かである」自由

・他の現実への開放 「何でもあり」の自由

 

そして、この二つの側面が、これまた、お互いの無限運動している。それが「自由」なのだ。ここで、「運命」との共通点に気づける。

 

つまり、「運命」とは「自由」はであり、「自由」とは「運命」でもある。

 

これが、彼の運命論の行き着く先だ。

 

完全に運命に従うのでもなければ、運命を完全に操れるものでもない。それらは、両立しているのだ。

 

 

 

 

 

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まとめ

 

「あるようにあり、なるようになる」

 

この結論を、本書では論理的に導いていく。さらに、これは出発地点でもあり、様々な角度から検証されていく。その過程である、「哲学する」をじっくりと楽しめるのがこの本だ。ぜひ、読んでみてほしい。

 

 

 

本記事が誰かの自由につながったのなら、私はうれしい。

 

 

 

 

「逆襲のシャア」を見て感じた、最近のアニメに足りないところ

機動戦士ガンダム 逆襲のシャア 感想

 

逆襲のシャアという作品をやっと見た。ガンダムは好きだったが、平成生まれの私は見れていなかった。

 

いざ見てみると、作り手の成熟を感じた。

 

ここに、現在多く溢れているアニメとは違う何かを感じた。

 

「やっぱり昔の作品っていいな」という印象だけにとどまらないように、この違和感を考察してみたい。

 

 

 

 

 

 

 

成熟とはなんだろう?

 

この作品のどんなところが、そう感じさせたのか。

 

単に古いから、その古さが現代のアニメとは違う印象を与えているだけでは?

 

つまり、成熟という言葉で、作品の評価を粉飾決算しているのだ。いずれにせよ、私自身のバイアスがかかりまくりな「成熟」ということではある。

 

ざっくりと言うなら、人間が描けている。キャラの振る舞い、言動、その一つ一つが人間くさい。

 

利己的ではなく、大義のために命をかけるという生き様。ここがとてもかっこいいのかもしれない。戦争、生き死にというテーマが背景にある分、人間のそういう部分を描きやすいのはあるのだろう。

 

・わかりやすさを押し殺したような

・ぐっと我慢するような

・それでも現実に向き合う葛藤

 

言葉にすれば、このような印象だろうか。

 

続いて、違和感の背景を考察する。

 

 

 

 

 

キャラ作りの背景

 

最近のアニメになんだか足りないことってなんだろう。

 

扱うテーマの深さ、鋭さ、新しさ、それに伴う理屈や世界観、確かに楽しめる部分もある。けれど、やや感じるのはキャラの魅力が薄いことだ。

 

なぜだろう?

「キャラ」的すぎるのだと思う。生の「人間」感が足りない。

 

これこれの要素を詰めておけば、人気が出るだろう、というようなまるでRPGのキャラ作りのような「計算」が前提にある。人間的な香りが薄い。

 

それぞれのキャラクターたちの役割、見た目などによって性格もカスタマイズされる。その結果、作品ごとに違いがあまり無い。

なんだ、またこんなタイプのキャラなのか、と感じてしまうことが多い。

 

見るものも、作り手側も、「はっきりとした、わかりやすい」キャラ付けを求めている。なぜそうなったかといえば、その方がマーケティングがしやすいからだ。つまり、資本主義という抗えない流れが、この背景にはあるのかもしれない。

 

登場人物が、商品になっているのだ....

 

 

登場人物とは、人間だ。

 

人間とは、本来、「商品」とは正反対の存在だったはずなのに...

 

こうした資本主義と人間について、さらに学びたい方は次の本がお勧めだ。記事でも紹介している。

 

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人間を描いてほしい!!

 

一言で言うなら、私は、「商品ではなく人間が見たい!!!!」のかもしれない。

 

自分が望むものだけを見る。この姿勢は、ただの消費者だろう。しかし、未知なる人間と作品を通して出会いたい。

 

つまり、そもそも他者とは、偶発性に満ちていて、けれどもなんだか引き寄せられるものだと思う。次の記事で詳しく書いている。

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計算を間違い、マニュアルを守れず、ふと何かが降りてくる。
それらはすべて知性の賜物である。
生きものの知性である。
今こそ天然知能を解放しよう。
人工知能と対立するのではなく、
意識の向こう側で、想像もつかない「外部」と邂逅するために。

 

 

 

 

  

作り手が成熟している

 

一方、「逆襲のシャア」の登場人物たちは、とても生々しい。もちろん、こちらもキャラであることに間違いはない。

 

しかし、その言動、振る舞いは、作り手の生の体験、感覚が色濃く生かされているように思う。彼らの振る舞いからは、「なんかわからないけど、勉強になるな、惹きつけられるな」という香りがする。

 

現在のキャラクターたちのような、マーケティング結果、計算結果のようなものとははっきりと違う。それら性格、キャラからは、商品の匂いがする。

 

私が感じた違和感を言葉にすれば、このようなものだろう。最近のアニメ作品などに感じていた違和感が、「逆襲のシャア」を見ることで浮かび上がったとおもう。

 

また、現在の作り手は成熟していない人が多い、と言っていいかどうかは微妙なところだ。成熟しているかいないか、という明確な基準はないし、それを調べる手段もない。根拠がないので、主張にはならないだろう。

 

 

 

 

 

作り手の叫び

 

今回考察したことは、次の記事とも関連が深い。ぜひ読んでみてほしい。

 

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フラストレーションが発散できるような映画には、
 
どうしてもその映画を撮って伝えたいことがあるんだ!!
 
これを表現せずには生きられない!!!
 
といった作り手の「人生をかけた叫び」が詰まっている

 

 

 

 

 

セリフの格調

 

次のようなセリフの数々も、なんだか大人だな、成熟しているな、と感じさせる原因だろう。実際に、シャアの設定年齢を聞いて驚いた人も多いはずだ。それくらい、セリフの格調が高い。

 

 

アムロ「貴様!?」

シャア「ギュネイを呼べ」

アムロ「なんでここにいるんだ!?」

シャア「私はおまえと違ってパイロットをやっているだけではない!」

アムロ「なんだと!」

クェス「あれがシャア・・・」

アムロ「俺たちと一緒に戦った男がなんで地球つぶしを!」

シャア「地球に残っている連中は地球を汚染しているだけの、重力に魂を縛られている人々だ!

クェス(あ、だから夫婦でもいがみあってられるんだ・・)

アムロ「そうかい!・・シャア!なんで・・」

シャア「地球は人間のエゴ全部を飲めこみやしない!」

アムロ「人間の知恵はそんなものだって、乗り越えられる!」

シャア「なら・・・今すぐ愚民ども全てに英知をさずけてみせろ!

クェス(そうだそれができないから・・・)

アムロ「貴様をやってからそうさせてもらう!」

 

 

アムロ「ふざけるな!たかが石ころ1つガンダムで押し出してやる!」 シャア「馬鹿なことはやめろ!」 
アムロ「やってみなければわからん!」
シャア「正気か!?」
アムロ「貴様ほど急ぎすぎもしなければ、人類に絶望もしちゃいない!」 シャア「うわぁぁ・・アクシズの落下は始まっているんだぞ!」
アムロ「υガンダムは伊達じゃない!!」

 

 

シャア「そうか。しかしこの暖かさをもった人間が地球さえ破壊するんだ。それを解るんだよ!アムロ!」
アムロ「わかっているよ!だから!世界に人の心の光を見せなけりゃならないんだろ!!」 

 

 

富野節が効いている。

dic.nicovideo.jp

 

次のような動画で、雰囲気を感じてみてほしい。

 


【MAD】機動戦士ガンダム 逆襲のシャア Char's Counterattack【AMV】

 

 

 

 

まとめ

 

作り手の成熟度が、「商品ぽくない」キャラを描きだしてくれる

 

 

 

 

 

 

 

 

その可能性はすでに考えた 【ネタバレ・感想・解説】探偵は「奇跡」を望む

普通の探偵じゃないミステリー

 

設定が新しいことで話題になった推理小説だ。著者は、井上真偽

(名前からして、論理学の香りがしますね)

 

どこが新しい点なのか、それはこの小説のタイトルが表している。

 

この小説の探偵は、「その可能性はすでに考えた」が決め台詞だ。このセリフは何を表すのか??

 

一風変わったミステリー作品として、オススメしたい小説だ。本記事では、本作品のテーマについてまとめる。

 

 

 

 

 

 

あらすじ

その可能性はすでに考えた (講談社文庫)

その可能性はすでに考えた (講談社文庫)

 

 

2016年度第16回本格ミステリ大賞候補に選ばれる[3]。「本格ミステリ・ベスト10」2016年版(国内部門)5位、『ミステリが読みたい! 2016年版』(国内編)5位、『このミステリーがすごい!』(2016年 国内編)14位、「週刊文春ミステリーベスト10」(2015年 国内部門)15位、「キノベス!2016」28位[4]など各種ミステリランキングにランクインしている。黄金の本格ミステリー(2016年)に選出されている。

 

探偵事務所で上苙とフーリンが話していると若い女性が訪れる。その女性・渡良瀬莉世は自分が人を殺したのかどうか推理してほしいと話し、幼い頃の記憶を語り始めた。

莉世は小学校に入学した直後、母親に連れて行かれ、新宗教団体「血の贖い(アポリュトローシス)」の村で集団生活を始めた。教祖と信者あわせて33人が暮らすその村は、周囲を高い崖に囲まれた山奥の秘境であり、脱出が極めて困難な刑務所のような場所だった。村に暮らす同じ信者の少年・堂仁が優しく接してくれることがうれしく、また〈拝日の祠〉にある祭壇の花や供物を取りかえる巫女の役目をこなす中で、隠れて祠で豚を飼うことで心の支えとしていた。「脱出するときは仔豚も一緒に連れていこう」などと堂仁と話していた折、村を地震が襲う。地震後、滝と川が枯れ、更に教祖は村の唯一の出入り口である〈洞門〉を爆破し塞いでしまう。〈禊〉が行われ、信者全員でお祈りを唱えていた拝殿で頭を伏せた信者の首を教祖が斬り回る姿を目撃し、自分の首が斬られる直前に堂仁に助け出された莉世はやがて気を失い、目覚めたときには祠にいた。その眼前には堂仁の生首と胴体が転がっていた。莉世と堂仁以外の信者は全員外から施錠された拝殿に閉じ込められ、また拝殿の閂は莉世には重くて動かせなかった。

これらの状況から自分が堂仁を殺してしまったのではないか、と考えるようになったという莉世。しかし一方で、堂仁の首を斬ったと思われるギロチンの刃も堂仁の胴体も重く、祠まで運べたはずはないという。当時、彼女は地震で足を骨折し松葉杖とギプスをしていたのだ。

堂仁は首を斬られた後、莉世を抱いて祠まで運んだのではないか。祠まで行く途中、堂仁の首を抱いていたような気がすると話す莉世に、上苙は〈奇蹟〉に違いない、人知の及ぶあらゆる可能性を否定し〈奇蹟〉が成立することを証明すると言い放つ。全ての可能性を否定することなど不可能だという大門老人や、フーリンの知人である中国人美女リーシー、元弟子である少年・八ツ星が提示した仮説をことごとく反証していく上苙だったが……。

 

その可能性はすでに考えた - Wikipedia

 

 

 

 

 

他のミステリー作品と異なる点

 

普通、探偵の役割は、事件の謎を解くことだ。事件の謎をとく仮説を掲示し、それを立証する。

 

ミステリー小説とは、その謎解き過程を楽しものが軸だろう。

 

しかし、この作品の探偵である上苙は違う。

 

彼の目的が、奇跡の存在を証明することなのだ。

 

今回の事件でも、彼は、本当に奇跡が起きたのだということを示そうとする。そのために、あらゆる考えられるトリックの仮説を自らリストアップし、その一つ一つが成り立たないことを立証するのだ。

 

 

 

 

 

仮説を解体する

 

そんな彼の奇跡の証明を邪魔しようと、何人かの刺客が送り込まれる。

 

それぞれが事件を解く仮説を掲示する。その仮説が成り立たないことを、上苙が証明できなければ、奇跡はないことになる。

 

あるトリックが成り立ちそうだという、可能性さえ示せればいい。つまり、事実どうこうよりも、可能性を残すことに焦点が当たっている。だから、かなり無理があるような、言い換えれば、面白いトリックが出てくる。

 

つまり、探偵 対 刺客たちの勝負は、圧倒的に探偵が不利なのだ。刺客たちは、わずかな可能性すら残せばいいのだから。

 

彼らが掲示した仮説に対して、上苙はその仮説が成り立たないことを示していく。

 

その時に使われる決め台詞が、タイトルだ。

 

「その可能性はすでに考えた」

 

一般的なミステリー小説の探偵とは、まるで役割が逆だ。謎を解体するのでく、仮説を解体する。そして、すべての仮説が成り立たないことを示し、奇跡の存在を示すのが彼の目的だ。

 

しかし、奇跡の存在を証明するには、すべての可能性が成り立たないことを示さなければならない。この「すべて」とは、つまり、無限ではないのか?と本書でも指摘されている。それに対する探偵の方針は、あくまでも特殊な条件下のもとでの事件であるため可能性は有限だ、ということなのだろう。

 

 

「無限」というテーマに興味がある人は、次の記事がオススメだ。

 

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悪魔の証明

 

このような類いの証明は、「悪魔の証明」と呼ばれる。

悪魔の証明とは、「ある事実・現象が『全くない(なかった)』」というような、それを証明することが非常に困難な命題を証明すること。例えば「アイルランドに蛇はいる」ということを証明するとしたら、アイルランドで蛇を一匹捕まえて来ればよいが、「アイルランドに蛇はいない」ということの証明はアイルランド全土を探査しなくてはならないので非常に困難、事実上不可能であるというような場合、これを悪魔の証明という。

悪魔の証明とは - はてなキーワード

 

 

 

 

まとめ

 

ミステリーとして、なにを求めるのか、という視点の新しさは楽しめた。

 

トリックも様々なものが登場し、考えさせてくれる。

 

最後の挽回も、物語として面白い。

 

 

たた、個人的に入り込めなかったのが、キャラ設定。

 

かなり、色のある設定なのだが、それを生かしきり、自然にさせる描写があまりない。中国語の表現や、知識も多いのだが、必然性がない。ストーリーに対して、キャラたちの良さが生かされないように感じた。

 

こうしたキャラたちに感情移入できるか、抵抗がないかで、もちろん全体のストーリーとしての評価が分かれるところだろう。

 

 

 

 

 

堀江貴文の「新・資本論」【書評・まとめ】 お金のシンプルな正体!!!

本記事のイシュー

 

お金のシンプルな正体が「信用」とはどういうことか。

それならば、我々はどう行動していけばいいか。

 

 

 

 

お金の三大要素

 

・信用

・投資

・コミュニケーション

 

 

この定義は、堀江貴文の「新・資本論」によるものだ。

 

お金ってなんだ?社会とお金の関係は?

と常日頃思っている人にとって、大きなヒントになる。

 

そして、先が見えない現代において、何をどうすればいいのか考えるために、お金とは何か考えることは必須だ!!

 

まとめてみよう。

 

 

 

 

 

 

 

マンガ版 堀江貴文の「新・資本論

 

マンガ版 堀江貴文の「新・資本論」 (宝島社新書)

マンガ版 堀江貴文の「新・資本論」 (宝島社新書)

 

 

 

 

 

 

 

 

とにかく「信用」ありき

 

・お金とは信用を数値化したものである

お金よりも、信用が大事。

 

・今の時代のお金は「信用」である

信用を保証する記号にすぎない。本質的にバーチャルな存在。

 

・信用は、成功体験と自信で大きくなる

 

・日本の生活レベルは、とても豊か

 

・自由に生きるには、自分の好きなことに没頭すること

そのためにも、お金の本質をつかむべき

 

 

 

 

 

 

 

貯金は後ろ向き

 

・社会の変化するスピードは速くなっており、将来の不確実性が増している。

 

・マイホームのリスク・コストを考えよ。

 

・貯金よりも、お金の本質である信用を作っていくこと。

 

・人との関わりさえあれば生きていける。頼れる人は、自分で作れる。

 

・コミュニケーションと投資が、何よりも重要な信用を作り出し、それが仕事上で評価され、ゆくゆくは信用を数値化したお金という形になる。

 

 

 

 

 

いい借金もあるし、お金を使わないだけはよくない

 

・信用は流動性がない。いざという時に換金できる。「1億円であればいつでも調達できます」という信用力のある人物を目指す。

 

・リスクとは、「投資に対するリターンの不確実性の度合い」のこと。

保険はリスクが高い。

 

・お金を使わない=節約 ではない。

 

 

 

 

 

 

「銀行以前」への回帰

 

・個人と個人の間に銀行が入るメリットがなくなってきている。

 

クラウドファンディング、仮想通貨、ソーシャルレンディング、これらは、銀行以前の信用によるシステムといえる。

 

・ルールの運用は恣意的に行われる。

 

・銀行が用意している儲けの構造は、とても洗練されている。だからこそ、こちらもウソを見抜く力をつける。

 

 

 

 

 

 

既得権益が日本の活力を奪っている

 

・企業に就職しなくても、仕事はできる。

 

・起業は、もはや特別な選択肢ではない。

 

・やる気と情熱さえあればオッケー。

 

・起業のリスクは高くない。

 

・インターネットの本質は、個人の能力開花を促進すること。

 

・行動しないことが最大のリスク

 

 

 

 

 

1番大事なメッセージ

 

お金は、信用で代替できる。

貯めるべきは信用であって、お金ではない。

 

 

 

信用がまずはじめにありき。お金というものの本質をついている。

 

しかし、その本質が見えなくなり、お金そのものが目的になる人が大半だ。

 

けれど、もう目を覚ますべき時代だ。

 

堀江氏がいうように、自分がとことん熱中できることから、何か始めてみればいい。

 

「行動しないことが最大のリスク」

 

変化が激しい時代において、まさにこの通りだろう。

 

 

 

 

 

 

動画 お金とは信用


堀江貴文 お金とは信用 その理由

 

 

この動画も興味深い。

参考にしてほしい。

 

かなり古い動画だが、彼の慧眼はすごい。話もかなりわかりやすい。

 

今の世の中、わざわざ本を買わなくてもこうしてネットで情報を得られるのは大きなメリットだ。誰にでも、成長の機会はある。

 

 

 

 

 

関連記事

 

 

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この記事でも、お金の本質がヴァーチャルなものだとわかる。そのヴァーチャル性が、とんでもない格差につながる。恐ろしい話だ。

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天然知能【書評】AIにはないダサカッコワルイ知能とは?

AIにならないために

 

「いままで私たちは、あまりに人工知能的知性を、人間に課し過ぎていたのではないでしょうか。」

 

 

AIブームの昨今、もう一度人間や生命の知とは何か、考えてみる必要がある。

 

いままでは、こんな哲学的な問いは考えなくてもよかった人が大半だ。しかし、現在は、AIの台頭、AIに劣る人間などのワードが叫ばれている。つまり、生活していく上での切迫した問いになった。

 

今回紹介する本からは、生命らしい、人間らしい「知能」の有り様のヒントをもらえる。

 

記事を読み終えると、自分自身の知のあり方を見直せるはずだ。

 

 

 

 

著者 郡司ペギオ幸夫

天然知能 (講談社選書メチエ)

天然知能 (講談社選書メチエ)

 

 

現在は早稲田の教授。

生命についての著作多数。ホームページを見てみればわかるが、かなり面白そうな人。

 

「考えるな、感じろ」ブルース・リーは言った。
山の向こうにも同じように風景が広がることや、
太平洋でイワシが泳いでいることを信じられる。
今までのこだわりが、突然どうでもよくなる。
計算を間違い、マニュアルを守れず、ふと何かが降りてくる。
それらはすべて知性の賜物である。
生きものの知性である。
今こそ天然知能を解放しよう。
人工知能と対立するのではなく、
意識の向こう側で、想像もつかない「外部」と邂逅するために。

わたしがわたしとして存在するための哲学。

『天然知能』(郡司ペギオ幸夫):講談社選書メチエ|講談社BOOK倶楽部

 

 

 

 

 

 

天然知能とは?

 

それでは、天然知能とはなんだろうか。他のタイプの知能と比較することでわかる。

 

一般的に言われる人工知能という意味ではなく、人間、生命も含めた「人工知能」という定義になっていることに注意。つまり、人間のある思考ですら、著者に言わせれば人工知能的なのだ!!

 

ここに、「天然知能」という概念で伝えたいことがあるのだろう。

また、人間の人工知能的な思考では、AIたちにとって代わられることを意味する。

 

 

知能のタイプを3種類に分ける。

 

人工知能

自分にとって有益か有害かでわけ、自分に役に立つものだけを認識する。

「自分にとっての」知識世界を構成する。

 

・自然知能

自然科学的思考のこと。世界を理解するために、知識で分類、区別、理解していく。

「世界にとっての」知識世界を構成する。

 

 

 

・天然知能

「知覚されないものに対しても、存在を許容する能力」

 

人工知能や自然知能は、知覚されないものは問題にしない、知覚以前などどうでもいい。

 

ただ世界を受け入れる。

評価する軸が決まっていないし、場当たり的。

想定外の何か、予期しえない何かが存在するだろうことを受け入れ待っている。

自分が見ることのできない向こう側、自分の外側を受け入れる。

 

ここで、外部という概念について考える必要がある。

 

 

 

  

外部と「外部」

 

天然知能というものを考える上で、重要な概念が外部だ。

 

外部は、「自分からは感じることもできないし、知らない向こう側のこと」

見ることも、聞くことも、予想もできない。

 

一方、「外部」はこうだ。

自分にとって都合のいいものだけの集合体。

 

人工知能や科学にとっての「外部」は、自分にとって役にたつかどうかでしか認知しない範囲だ。本来は、先端=外部を相手にする科学ですら、「外部」ばかりを扱っているという。

 

 

この外部に誘惑され、何かを感じ取ってしまう経験は誰にでもあるのではないか?外部を常に受け入れる天然知能こそ、私たち人間の本質であったはずだった。ここにAIなどでは、決して到達できない生命の柔軟さ、創造性がある。

 

天然知能として外部と生きる様を、著者はダサカッワルイ、と表現する。

 

 

次の記事も参考になる。

 

手際よく処理したり、着実に探求を進めたりする活動の外部から訳の分からないものが闖入し、掻き乱してくることがある。その訳の分からなさに積極的に自分を開いていくこと、それが天然知能である。天然のまなざしで見るならば、世界は自分の了解を超えた訳の分からない外部の予感に満ちている。

「天然知能」 自分を外に開いて受け入れる|好書好日

 

 

 

 

 

感染や偶発性

 

何だかわからない異質なものを感じ、惹かれてしまう。これは、感染という概念とも関係しているのではないだろうか。

感染することによって、人間は内側から大きく変化する。次の記事で詳しく書いている。

 

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また、社会学者の宮台真司がいうような次の指摘と、外部との関係もおもしろそうだ。

 

人間とは、偶発性によって誘惑される存在。得体の知れないということによって誘惑される。

他者はコントロールできないから惹かれる。「機械と違ってコントロールできないから性愛しません」、という若者が出てくる。劣化だ。

 

次の記事にまとめている。

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創造とは外部からやってくるものを受け入れること

 

流行りの人工知能に置き換えられない人間の特徴こそ、「創造」である。

 

天然知能だけが、創造を楽しむことができる。そして、天然知能は、自分らしさというものを肯定できる、という。

 

創造の定義は、今までになかったものを作ること。

 

自分らしさと外部の対応を考えよう。

 

自分らしく生きる者は、自分勝手で利己的な者でしょうか。

逆です。

周囲を気にせず、創造を楽しむ者だけが、他者を受け入れることができるのです。あなたが気にする周囲は、所詮、あなたが既に気づいている、あなたの内側の者にすぎない。周囲を気にし続けるあなたは、外部を感じることができず、自らの内側にとどまっているのです。

創造は外部を問題にするのです。だからこそ、周囲を気にせず、まるで孤立して、一人で勝手に創作しているように見える者だけが、知覚しえない他者を、受け入れることができるのです。自分らしく生きる者だけが、外部に対して開かれるのです。

p24

 

 

 

 

 

哲学的な議論も

 

本書は天然知能というものを、具体例を交えながら紹介してくれる。

 

しかし、哲学てきな議論も盛りだくさんでとても刺激的だ。

 

「外部」ではなく、外部を問題にする思弁的実在論や、新しい実在論と天然知能との関係についての考察も、哲学が好きな人は楽しめる。

 

そして、意識の問題、自由意志の問題にまで話が進む。これら高度な話題を幾つかのモデルを示しながら考察してくれる。

そこで見えてくる「天然知能」の意味がとても面白い。

 

単なる問いかけ本ではなく、とても深い考察に満ちた本だ。ぜひ読んでみてほしい。

 

 

 

 

 

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