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『凄い人・本・映画・概念・理屈』に "感染" した結果、生きやすくなった男が紹介する。真の教養と自由を。

【就活マニュアルよりも大切なこと】就活に意味を見出せない人へ

就活、そして生き方

「もっと自分にある仕事あるんじゃ...」

「就活作法には飽き飽きしてきた...」

 

仕事と人生、就活生だけではなく、社会人のみなが悩んでいるテーマだろう。

 

今回の記事では、社会学宮台真司さんの本を参考に、これらテーマを考えたい。

 

今回の記事を読み終えると、自分の人生の上で、どう仕事を選択していけばいいかわかるはずだ。そして、どう成長していけばいいのかのヒントがもらえる。

 

就活を通して、自分の人生をしっかりと考えたくなってくるはずだ!!

 

 

宮台教授の就活原論

宮台教授の就活原論 (ちくま文庫)

宮台教授の就活原論 (ちくま文庫)

 

 

マニュアル的な就活本とは、全く違う本。いくつかのテーマをまとめたい。

 

 

 

選択肢が多いほどいいというわけではない

現在、選択肢のための情報がたくさんある。そのため、もっと自分にあう仕事があるはずだ、というスパイラルに終わりが見えなくなってしまう。

 

ニーズに応じて選択肢が掲示されるから学生の適職幻想があおられる

 

適職幻想は確かにある。就活生は、皆これにとらわれてしまうのではないだろうか?

 

 

最終目標

では、どうやって進路を決めればいいのか?

 

自分の最終的な目標から自分の道を決めよ、という。

 

大学生の時間は、最終目的に紐付けられた優先順位を手にするための試行錯誤のために使うべきです。就職時点で優先順位がまだわからないのでは、手段的行為に勤しむ喜びも、手段的行為としての相対化も、利用できないということです。

 

その自分の最終目標を見つけるための方法が次の2つだ。

・自分の価値観を壊されるような経験を何度もすること

・凄いやつに感染しては、卒業することを繰り返すこと

 

私自身も、この2つの重要性は身に染みている。また、「感染」という行為も繰り返してきた。これにより、大きな変化が自分に訪れた。

感染については、次の記事でまとめている。とても、重要な概念だ。

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凄いやつになれ!

 

ひとかどでない人間がたまたまラッキーでどこかに就職できても、仕事上の成功は結局得られません。ひとかどでない人間が、たまたまラッキーでいい女やいい男に好かれても、プライベートでの実りはえられません。

 

ひとかど【一角・一廉】 

きわだっていること。なみすぐれていること。

 


就活という短期的なゲームでの勝ちまけはどうでもいい。それよりも、もっと長期的に見たときに、ひとかどの人物になるべく研鑽しておいた方が、必ずチャンスを得られる。そのほうが、あなたの人生を幸せなものにする、これが宮台さんが強く指摘するポイントだ。

 

ひとかどの人物になる、か...

 

就活、面接のために何かするというよりも、自分の人生の幸せのためにすることがあるはずだ。ひとかどの人物になることがもっとも優先的なのだろう。とても険しい道だが、遠回りのようでこの道しかない、と思う。それが、自分の人生のためになる。マニュアル的な就活本とは、はっきりと違う点だ。

 

 

 

グループディスカッション

宮台さんいわく、グループディスカッションで見ることは、人の言いたいことを理解する力と自分の言いたいことを表現する力、である。

 

大人数がいれば意見が違って当たり前。自分の意見を主張し、不必要な感情的な反発を招かず、できれば相手をその気にさせる。それがグループワークの能力の柱です。意見の対立を感情の対立から区別すること、論理は相手を感情的に動かす道具であることを忘れないように。

 

その意味でリカバリング能力が重要な尺度になります。いちど決定的に対立した後、一瞬で関係を修復できるような対応が取れるかということです。対立が尾を引いて相手と目を合わせなくなるとか、議論の後に感情的なしこりを残すようでは議論した意味が台無しになります。

 

確かに、この議論する力は大切だろう。たとえ意見が違っても、しっかりとお互いを認め合い、その後の関係を修復する力は社会人にこそ欠かせないはずだ。また、この能力を有する人間は貴重である。こうした議論の果てに関係を壊さず修復し、互いの関係を発展させることで議題もより向上させる、この経験をたくさんしている人間は少ないだろう。

 

 

面接のコツ

コツも大切だけど、ひとかどの人物になるべきだ。小手先の技術なんかより、中身が有る人間が強い。

 

面接の場だけ、中身が有る人間になることはできない。普段の生活から周りの人間からリスペクトされるような人間であるならば、面接でも自然とその中身が伝わるはずだ。

 

社会はいいとこ取りができないし、人間関係もいいとこ取りはできません。まさに「すぐには役立たない就職マニアル」という他ありませんが、もっぱら中身が大切であって、良い企業に就職したいという思いが強いだけで中身がない人は、どのみち幸せにはなれないのです。

 

コツやマニュアルに頼ってしまう気持ちは誰にでもあるだろう。しかし、本当に大切のことほど、簡単には身につかない。だからこそ、時間をかけて努力するしかない。

 

 

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まとめ

・最終目標を元に、優先順位を作れ

・ひとかどの人物になれ

 

 

 

 

 

追記

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面接が怖い!つらい!苦手!【心理学からみる面接の本質】

面接対策の心理学

就活、転職、受験、あらゆる場面で面接をする機会があります。

 

そんな面接を突破するために、基本的なポイントはなんなのでしょう?

 

「何回も面接で落とされた...」

「私、面接は苦手」

 

 面接に苦手意識を抱えている人にとって、悩みは尽きないでしょう。しかし、今回の記事で紹介するように、ポイントを抑えてしまえば、対策をすることは可能です。

 

なぜ対策をすることが可能なのかも、この記事を読めばわかるはずです。

 

面接官の心を操れ!無敵の就職心理戦略

面接官の心を操れ! 無敵の就職心理戦略

面接官の心を操れ! 無敵の就職心理戦略

 

今回、まとめる本はこちらです。

 

メンタリストであるDaigoさんだからこその視点が満載です。心理学に裏打ちされた対策は、やはり本質を突いているでしょう。

 

さらに、仕事と生き方そのものへの指南もあります。

 

こちらの動画は、Daigoさんが就活について語っているものです。


最強の就活心理戦略セミナーを生放送!@大阪 の前半


最強面接心理戦略セミナーを生放送!

 

 

 

好感度で全てが決まる

就活での関門の1つは面接です。

 

それなら、面接の合否の最も大きな要因は何でしょうか?

 

それは、好感度です。

 

面接官への好感度がいかに高いかで決まってしまうのです。

 

面接官とはいえど、人の能力を客観的に測ることは不可能です。これはあらゆる心理学的な実験から明らかになっています。つまり、人が人と接する際には、必ず認知バイアスが働いてしまうのです。そして、人を評価する際に最も大きな認知バイアスこそ、好感度なのです。

 

ではどう好感度を上げるのか?

 

その具体的な作戦をメンタリストである彼は紹介してくれます。

面接官は、第一印象だけで決める。それならば、好感度さえコントロールできれば合格近づくことになります。

そして、好感度は作ることができるのです!!

 

 

自己評価をする際の注意点

自分って、結構好感度あるんじゃないかな?こう思ったそこのあなた、自己評価をする際には注意点があります。

人間にはある認知のバイアスがあって、能力を自己評価してもらうと、 70%の人が「自分は真ん中より上」と答えるというのは有名な話です。もちろん、好感度も例外ではありません。

 

続いて、好感度を上げるための戦略を見ていきます。

 

 

好感度を上げるための戦略

・弱点はハロー効果で消せる 

人間には、目立つ1つの特徴によって、相手の全体像を想定してしまうという思い込みがあります。逆に言うと、 人の評価は際立った、たった1つの特徴で決まってしまう ということ。 

  

一言でいえば人間の認知能力に限界があるからです。相手の全体像を見ること、その上で総合的に評価することは人間にはまず不可能です。 

 

ハロー効果さえあれば、自分の長所を伸ばすことで、細かな欠点を補うことが簡単にできます。彼も、細かい弱点を補うよりも、自分の具体的でわかりやすい長所を伸ばす方が効率的であると指摘しています。

 

・知性をつくれ!

ーアイコンタクトをとる。

ーテンポよく大きな声で話す。

ー左右対称の顔がいい。

ー身長を高く見せるため、厚底の靴を履く。

これらは、身体知の観点からも研究してみると面白そうです。

 

・質問で誘導する

自分を売り込むトークは、相手に「こんな人材が欲しい」と言わせてから。「質問からの承諾先取り」で、面接の流れを支配できる。

このテクニックはすごい。つまり、自分の方から、自分の魅力をアピールするのはマイナスに捉えられかねない。だから、質問して相手が欲しい人材の特徴を答えてから、それならば私はこういう長所がありますというふうにアピールする。これならば、好感度が高くなる。

 

・自信をつけるために

ー運動すること

セロトニンが増える食事

ー瞑想

 

・罰ゲームリレー

最強の自信がつく方法だろう。ネットで、やりたくない恥ずかしい罰ゲームを調べ、それを1ヵ月間毎日1つずつ実行していく。これはとても面白い自分に自信をつける方法だ。恥ずかしい、失敗したなと思った経験でも、実はたいしたことないんだなぁと実感を繰り返す。そうすることで自分に自信がついていく。 

 

・嘘がバレるかどうか

嘘がばれるかどうかの分かれ目は反応時間である。反応時間がちょっと長いなぁと違和感を持たれてしまうと、嘘センサーに引っかかる。だからこそ面接の前に事前に話す内容を頭の中で考えておく。その中に、ちょっとした嘘が含まれていても構わない。

 

 

 

自分の自由な生き方へ

 

この本は単なる面接の対策本ではありません。この本の本質は、自分の人生の中で、どのように自分がしたい職を手に入れるのかというものです。だからこそ、どうやったら自分が好きな道を選べるのか、価値観の判断を深めていく手順やアドバイスが詳細に書かれています。

 

面接対策は、確かに大事です。しかし、最も重要な事は、自分の好きな事は何か、自分がしたい生活はどんなものか、をつかむこと。そういった自分の人生の自由と本質を徹底的に考えることです。それが後悔のない選択をあなたに与えることになります。就活で一般的に重要だと言われる、自己研究とはまた違った方法がこの本では紹介されています。自分の好きな生き方を実現されているDaigoさんから学べることは多いはずです。 

 

 

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追記

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【論理的思考よりも大切なこと】あなたの生産性を爆発させるシンプルな方法

知的生産において見落とされている点

 

「知的生産ってなんだろう?」

「圧倒的に生産性のある人って?」

 

こうした疑問をもっている人も多いと思います。

 

今回の記事では、「イシューから始めよ」という本を参考に、そんな問いの本質に迫ってみます。

 

記事を読み終えると、「知的生産において一番重要なこと」がわかるはずです。それは、あなたの全ての思考とアウトプットを変えてくれるでしょう。

 

 

イシューからはじめよ 知的生産の「シンプルな本質」

イシューからはじめよ――知的生産の「シンプルな本質」

イシューからはじめよ――知的生産の「シンプルな本質」

 

今回はこちらの本から、教えをもらってみる。

 

著者である安宅和人氏のTEDの動画がこちらだ。この動画を見ると、彼の鋭い分析力の凄さがわかる。本質的で、解く必要のあるイシューが掲示されている。本と一緒に、ぜひ見て欲しい。

www.youtube.com

 

 

イシューを見極める!!!

知的生産の本質、その答えはシンプルだ。

 

「何に答えを出す必要があるのか」を見極めることから始める。

 

これを、イシューから始める、という。

 

一般的には、「問題を解く」ことが重要だと思われがちだ。

しかし、問題を見極めることの方が優先なのだ。これがこの本の主張の核である。そして、圧倒的に生産性が高い人物の特徴だ。

そして、本当に質の高い仕事は、「イシュー度の高さ✖️解の質」の両方が必要になる。

 

逆に、がむしゃらにただやってみるだけという方法は、根性論だとして批判する。

 

 

良いイシューの条件

本質的な選択肢である

まずは大きな分岐点を見極めることが大切。

 

深い仮説がある

常識を否定し、新しい構造で説明できないか。

 

答えを出せる

既存の手法、アプローチで答えを出せるかどうか。

 

 

 

・本書の細かいまとめはこちらのサイトが参考になる。さらに詳しく知りたくなった人におすすめ。

『イシューからはじめよ』をまとめてみた - Coming soon...

 

 

 

So What?(だから何?)を繰り返す

良いイシューを見極めるための方法が、いくつか紹介されている。その中の一つが、「So what?」である。

 

自分が立てた仮説に対して、「だから何?」をくりかえしていく。そうしていくことで、浅く、ざっくりとしていた考えが、細かく深いレベルに変化していく。そうすると、曖昧な表現だったものが、細部まで定義された言葉で置き換えられることになる。

 

このアプローチは、「深く考えること」に有効だ。

 

普段私たちが使う言葉は、当たり前なこと、常識のレベルに支配されている。だから、その状態で使う言葉たちをもとにした発言には、思考がないのだ。

 

たとえば、「毎日7時に起きているよ。」などには、思考・考えがない。これと同じように、普段の私たちのちょっとした考え・意見・仮説もパターンになっている。そこには、考えるという作業が無い。よくよく考えてみれば、それら言葉は意味が曖昧なものが多い。もっと考えることができるものばかりだ。

 

この日常のパターンを破れ、とガクトも強調している。

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本質的に深い分析をするためには、言葉の意味を厳密にしていく必要がある。そうすることで初めて、言葉に対応した現象の構造を見つけることができる。そうした掘り下げる過程に、シンプルに役立つのが「だから何?」というツッコミなのだろう。

 

 

考えると悩むの違い

 

悩む=「答えが出ない」という前提のもとに、「考えるふり」をすること

 

考える=「答えが出る」という前提をもとに、建設的に考えを組み立てること

 

メインテーマとはそれるが、この視点はとても深い。私自身、これに気がついてから思考法が変化したと思う。

 

答えを出せるのか出せないのかがポイントになる。たしかに悩んでいる時は、答えが出せない状態で、ぐるぐると同じことを考え続けてしまっている。考えても考えても答えが出ないことに、浸ってしまっている。無駄なループを繰り返すのは生産的ではない。

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悩むのはやめて、答えが出せることを考える。

 

とにかく、「今悩んでいるな」と感じたならば、その時点でやめたほうがいい。だからこそ、「悩んでいるのか」、「本当に自分は考えられているのか」のどちらなのかを見極めるためにも、訓練が必要だ。論理的思考のフレームワークや、本書が掲示する「イシュー」の考え方など、とても参考になるはずだ。

 

 

 

表層的な論理思考に陥っていないか

著者は、浅い論理的な思考だけではなく、一次情報に触れることの重要性を訴えている。

 

さらに、強調しているのが「自分なりに感じる」ことなのが面白い。「自分だけの視点」という言い方もしている。自分独自の感性をつかみ、自分の言葉で考えよ、ということなのだろう。

 

これには、私はとても共感できる。たしかに論理的に思考することは大切だが、論理や言葉は本来自分にとって他者なのだ。そこで使われる言葉たちは、自分のものではない。自分独自の、自分の身体的な感覚から形成される言葉を「自分ごと」と呼ぶ研究者もいる。この本の著者も指摘しているのは、まさにこの「自分ごと」の欠如ではないだろうか?なぜなら、論理的思考だけならば、ほとんどの人の間で差はなくなってしまうからだ。

 

「自分ごと」については、次の記事で詳しく書いている。

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まとめ

・まずは「イシュー」から始める

・「考える」と「悩む」は違う

 

 

 

追記

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【私は誰か?なぜ死ぬか?何を信じるか?】科学に「いのち」の根源を問う

大いなる問い 「私たちはどこから来て、どこへ行くのか」

 

 私は誰か?

 なぜ死ぬか?

 何を信じるか?

 

今回紹介する本の帯に書かれている問いかけです。

こんなテーマについて、誰でも考えたことがあるのではないでしょうか?

 

しかし、もっと真剣に、それらテーマを考えた機会は少ないのかもしれません。そもそも、考える材料を得るのが難しい分野です。ある程度の教養が染み込むまで、時間もかかります。

 

今回の記事では、これらテーマを考えさせられる本を紹介します。

 

記事を読み終えると、「私たちはどこから来て、どこへ行くのか」という大きな問いについて、さらに深く考えられるはずです。

 

 

私たちはどこから来て、どこへ行くのか:科学に「いのち」の根源を問う

今回まとめるのがこの本。

ジャーナリスト、映画監督の森達也が、一流の自然科学者たちに哲学的な問いを投げかけていく。

 

HowではなくWhyと問うことでみえたのは、科学者たちの葛藤や煩悶の声だった。最先端で闘う科学者たちに「いのち」の根源を問いかける、森達也の新境地!

 

筑摩書房 私たちはどこから来て、どこへ行くのか ─科学に「いのち」の根源を問う / 森 達也 著

 

一人一人の科学者達はやはり、膨大な科学の経験がある。謙虚で慎重でもある。そんな彼らが、哲学的な問いに対してどう答えていくのか。とても魅力的だ。全編を通して、深い議論が続く。

 

今回は、一部だけでもまとめてみたい。

 

 

森達也

森達也は、ドキュメンタリー映画や、鋭い日本社会批評で有名だ。オウム真理教ドキュメンタリー映画が世界的にも評価されている。彼の社会を分析する眼は、本当に重い。すごい人材だと思う。

 

佐村河内氏のドキュメンタリーが最近の作品である。気になる方は、以下のような動画を見てみてほしい。


映画「FAKE」森達也監督独占インタビュー

 

映画FAKEについては、こちらでまとめています。

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長沼毅(生物学者)にきく

 

宇宙に生命はいるか

 

・あらゆる存在のエントロピーは増大する。けれど、なぜこの宇宙はその方向に進むのか?

 

・生命活動が小さな渦になることにより、宇宙全体のエントロピー増大を効率化させる。

 

・「我々は何者か?」

→生命や地球は、宇宙が早く熱的死を迎えるために存在している。生命は、宇宙のターミネーターのよう。

 

・「人はどこからきて、どこへ行くのか」 への、彼の答えもシンプルでいい。

 

「私は男だから卵子を持っていない。だから私は卵子から生まれて死ぬ。そこで終わり。」

 

 

 

 

村山斉(物理学者)にきく

 

宇宙はこれからどうなるか

 

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・ビックバン以前は「わからない」としか言いようがない 

 

・我々は何者なのか?

→宇宙創世記に物質と反物質がほとんど消えてしまった後に残された僅かな物質の末裔。お釣りのようなもの。

 

・宇宙はうまくできすぎているように見える。天文学的な偶然のおかげで、今の自分がいる。「畏怖」を感じるほどに。

 

・知性ある存在が宇宙をデザインしたとするインテリジェントデザイン仮説

→研究の先に、宇宙に意志を感じることもある。我々の宇宙は無数にあるうちの一つだとするマルチバースという考え方もある。

 

 

 

池谷裕二脳科学者)にきく

 

 なぜ脳はこんな問いをするのか

 

 ・脳は「自分ってなんなんだろう」という問いを考えずにはいられない。脳がそういう質問をしてしまうこと自体が鍵を握るのでは。

 

・言語の副作用

言語は、心の射程距離を伸ばしてくれる。しかし、本来は考えなくていいことまで考えてしまうようになった。

 

「自己を問う」というのは、無限ループに陥る。「自分とは何か?」の答えに対して、「その答えを出している自分とは何だろう?」と、無限後退に陥る。

無限の定義ができるのは言語だけ。言語には、文法があり、その文法は再帰性入れ子構造)を持っている。

 

言語と無限、自己言及、ここら辺は関心あるテーマです!!興味ある人は次もどうぞ。

 

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・生命がいることで、宇宙全体のエントロピー増大の効率が良くなる。私たちは宇宙を老化させるために存在する?「私たちは何のために存在するか」の答えがこれとは、身も蓋もない...

 

・人に似せたアンドロイドを造るモチベーションは科学的にはあまりない。性行為をすれば、子供ができるのだから。

 

アイデンティティは錯覚。それを錯覚とみなす主体も錯覚。これも無限ループ。心と脳を別と考えると、心を観察する自分という発想が生まれてしまう。脳と心、機能と構造は同じもの。それらの正体は、神経活動のイオンの渦。

 

・科学の限界についての一言も、実に脳科学者らしい。

科学の定義は、自然現象を人に理解できる言語で記述することですから。あるいは記述できたような気になって満悦すること、と言い換えた方が正確かもしれません。

 

・認識するとは歪めること。そうしなけらば、人間は考えることができない。歪めるという機能が、私たちにとっての心であり、考えるプロセスそのもの。

 

 

 

竹内薫(サイエンス作家)に聞く

 

科学は何を信じるのか

 

・日本の科学は分業しすぎている、全体をまとめるものがいない

 

・日本の科学者は、自分は何のためにそれをしているのかという哲学的な問いを発しない

 

・超越的な存在が世界を作ったとする欧米、もともと世界はあったとする日本

 

・ネズミに素数という概念が無いように、人間という種の認識システムにも限界がある。だから、「神」は無くならない

 

人間の脳と記号体系で推測できるのはどこまでなのかということは、非常に興味深い問題だと思います。

 

・数学というシステムは、宇宙を完全に記述できるほど強力ではないように思える

 

数学という体系についての次の指摘はおもしろい。

論理的に可能性があるということは、数学的に可能性があるということです。そして、数学的に可能性があるということは、その物理理論ができるということです。

 

・神や大いなる意志の存在抜きに、「人はどこから来てどこへ行くのか」考えることは不可能か?

 

・宇宙は何者かによってデザインされたのか?現状、否定も肯定もできない

 

・量子のふるまいと、人間の心の不思議は似ている

 

・量子のふるまいと、超常現象の見え隠れ

ここら辺をまともに議論するのは、本当に難しそう。

 

・生命は情報だと考えられる。しかし、個人が死ねばその情報もどんどん薄まり消える。それならば、絶対的な「神」はいないのでは?

 

 

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教養

こういったテーマは、あなたの人生にとってどんな意味を持つでしょうか?

 

「どうでもいいよそんなこと」と思う人だってたくさんいるはずです。

 

しかし、中にはこんなテーマを吸収することで、より楽しく、生きやすくなれる人もいると思います。私もその一人です。

 

こういった教養を、私はとても大事なことだとおもっています。

教養=自分がわかること と私は定義したい。次の記事に書いています。

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まとめ

・科学はhowは問えるが、whyはわからない

・先端の科学者はみな謙虚で、断定をしない

・表題のような大いなる問いについては、「わからない」

 

みな口々に「わからない」と、答える。そして、森達也自身も「わからない。だから、あがき続ける」と最後に表現するのが印象的だった。

 

やはり、科学にはある限界がある。では、それはどんな限界なのか?そして、その限界と人間はどのように付き合えばいいのか?とにかく大事なのは、どこかで思考停止してしまわないことだろう。もっと科学とは何か、哲学とは何か、考えられるはずだ。

 

深いテーマに触れられる、とてもいい本だった。

 

 

 

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それは本当に”自分の” 夢か? 【他者に依存した夢にならないために】

夢の叶え方を知っていますか?

 

「夢を持ちなさい」

 

みんな、このように言われて育ってきたと思う。

けれど、

 

「夢ってなんだよ」

「夢ってどうやったら叶うんだよ」

「やりたいことが見つからない」

 

などなど、自分の人生の夢というものに、みな色々と感じていることは多い。それだけ、この分野は考える材料が足りないのだろう。悩む機会は多いのに。

 

今回の記事では、「夢の叶え方」について、森博嗣という作家の本を紹介したい。

 

記事を読み終えると、「夢」というものについて、抽象的かつ具体的にもっと考えられるはずだ。自分の夢につながるはずである。

 

森博嗣 夢の叶え方を知っていますか?

夢の叶え方を知っていますか? (朝日新書)

夢の叶え方を知っていますか? (朝日新書)

 

人気作家である森博嗣が、「夢の叶え方」について書いた本。

 

やはり、彼独自の理屈がとても勉強になる。彼の経験と観察から導き出された鋭い意見が、耳に痛い分、重要に感じる。

 

この本から、いくつかのテーマを引用させてもらう。

 

 

”自分” の夢とは

 

「夢」というのは、自分の自由の追求である。しかし、それははたして、自分が「見たい夢」なのか、それとも人に「見せたい夢」なのか、一度じっくりと考えてみることをおすすめする。

 

自分には夢がない、自分の夢は実現が難しい、というとき、多くは、この種の「他者に依存した夢」であることが原因といえる。「誰か自分を満足させてくれ」と訴えている姿がそこにある。それを夢だと勘違いしているのだ。

 

自分の夢が、実際には自分一人だけでは実現しないジレンマを多くの人が抱えている。その例は二種類あって、他者の評価を期待している場合と、他者の関与を期待している場合である。自分が「見たい夢」ではなく、誰かに、あるいは周囲に、「見せたい夢」になっている。

 

夢を抱くのは大切なことだが、知らず知らず、このように周囲を巻き込み、みんなで一緒に満足感を味わおうという幻想を持ってしまう。この危険性に気づくことが、実は本当に自分の夢を手にする条件でもある。

 

 

上の文章を読んでみて、みなさんはどう思うだろうか?

 

森博嗣は、大きく二つに分けている。

自分一人で見る夢と、他者を巻き込んで見る夢である。

 

彼は、「夢」を自分の自由の追求だと捉えている。つまり、夢とは、自分自身で満足し納得するものだ。

 

そこに、「周囲の人間」が混ざっているならば、必ずそれら他者を前提とした夢になってしまう。「他者に依存した夢」ということだ。自分の自由を求めていたのに、他者からの評価、承認を求めてしまっている。

 

この時点で、本当に自分の夢を持つということから遠ざかってしまう!!!

 

彼の考える、本当に自分の夢を持つことのポイントをもう一度確認しておこう。

 

「誰かに見せたい」という姿勢の否定である。他者からの反応ありきでは、周囲の目を気にした夢の設定だ。そこに、あなた自身の自由はない。

 

これでは、自分の夢ではない。

他者の関与、他者の評価から切り離すことで、自分が本当にしたいことがわかる。これが、自分の夢である。

 

自己満足という言葉が、 忌み嫌われているのは、実に不思議な現象といえる。満足はそもそも自分でするものであって、自己満足こそが正統な満足なのである。

 

自己満足こそ、自分の人生にとって大切なことだ、と森博嗣は言う。一般的に、自己満足は悪いイメージで使われるが、彼の考えに私は共感出来る。

 

 

周囲を巻き込んだ夢

多くの人が考えている夢は、周囲の人間を巻き込んだものだ。その例として一般的に挙げられるのが、「家族」だろう。

 

「将来の夢は、幸せな家族を作ることです」

 

ここに違和感を感じる人は、やはり少ないだろうか?

 

あなたがそんな夢を持っていては、そのあなたの夢に家族は巻き込まれてしまうことになる。そんな夢の実現よりも重要なことは、家族一人一人の「自由」ではないだろうか?

 

例えば、子供が見る夢の実現を、あなたの夢が阻んでしまうことになる。

 

そこに、真と自由と楽しみはあるだろうか?

あなたが満足する日は来るのだろうか?

 

 

真の楽しみ

 

現代人の多くは、「楽しさ」というものは、人からもらうものだと考えている。

 

あなたの楽しさは、世界のどこにもない。過去のどこにも存在しない。あなたの中から生まれ、未来に向かって育つものなのである。

 

夢の本質とは、自分を楽しませることだ。自分を縛りつけるために夢を目指すのではない。いつもこれを思い出そう。

 

自分の夢と、「楽しさ」の関係についても森博嗣の指摘は鋭い。

 

なぜ、夢を求めるのかといえば、それがあなたにとって「楽しい」ことだからだろう。しかし、その「楽しさ」にも色々とある。大事なのは、楽しさを与えてもらうことではなく、自分で楽しさを作ることなのだ。なぜなら、誰かの楽しみが、そのままあなたにも当てはまることは、ほぼありえないからだ。

 

これには耳が痛い。ネット時代になり、とんでもない量の情報があふれている。つまり、そういったたくさんの「楽しそうなもの」をインプットしている。インプットさせられている、と言っていい。日々の生活が、インプットのみで回っている人も多いのでは。

 

しかし私自身、そんなインプット的な楽しさよりも、自分の中から出てくる何かが「楽しさ」に繋がったときのほうが何倍も楽しい。

 

例えば、このブログだってそうだ。文章を考える中で、思わぬアイデアが湧いてくることもある。そんな時はとても楽しい。

 

 

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まとめ

・自分が見たい夢なのか、他人に見せたい夢なのか

・自己満足する

・自分で、自分の「楽しみ」を作る

 

 

 

追記

本記事が誰かの自由につながったのなら、うれしい。

 

ぜひ、繰り返し考え続けていきたいテーマです。一緒に考えましょう。

 

 

映画「FAKE」ラストシーンの意味とは?【ドキュメンタリーは嘘をつく】

佐村河内騒動の衝撃 FAKE ネタバレ・考察

みなさんは、佐村河守氏のゴーストライター騒動を覚えているでしょうか?

そこには、耳が聞こえているのかいないのか、作曲できるのかできないのか、などの疑惑があった。

 

「何が真実なんだよ!!」

「はあ、またメディアが騒いでるわ」

「メディアの言うことは信用できん!」

 

などなど様々な態度の人がいたと思う。今回は、佐村河内守氏に迫ったドキュメンタリー映画について考察してみる。監督は、オウム真理教のドキュメンタリーで有名な森達也だ。わかりやすく二分したがる社会を否定するのが彼の手法だ。

 

また、衝撃のラストシーンでも有名な映画でもある。いったいあれには、どんな意味があるのか...

 

社会とは、人とは何なのかに迫る極上のドキュメンタリー映画である。

 

今回の記事を読み終えると、「人と社会とメディア」とはなんなのか、より深く考えられるはずです。

 

 

映画「FAKE」

FAKE ディレクターズ・カット版 [DVD]

FAKE ディレクターズ・カット版 [DVD]

 

FAKE』(フェイク)は、2016年制作の日本のドキュメンタリー映画ゴーストライター問題が発覚し、渦中の人物となっていた佐村河内守を中心に、彼を取材するテレビ関係者、真偽を確かめに来る海外のジャーナリストなどを1年4か月に渡って追ったドキュメンタリー作品

 

監督である森はジャーナリズムに基づいたノンフィクション作品ではなく、演出の入ったドキュメンタリー作品であること強調しており、画一的な報道がなされる上での別視点の提供であるとしている。

 

FAKE (2016年の映画) - Wikipedia

 


映画「FAKE」森達也監督独占インタビュー

 

 

 

 

真実と嘘

真実ってなんだろう。

嘘ではないことか。それなら、嘘ってなんだろう。

 

よく使う言葉なのに、その意味は曖昧だ。実は人は、ほとんどの言葉をなんとなく使っている。そのなんとなくさは、人の柔軟さの所以にもなる。しかし、もちろんマイナスになる面もある。

 

それは、言葉による思考停止だ。たとえば、本来は白黒に分けられないのに、分けようとしてしまうことなどだ。言葉のあいまいさの前で思考停止し、その言葉にはっきりとした実態があるかのように思ってしまう。

 

今回の、「佐村河内騒動の真相」もそうだ。「真相」という言葉を使ってしまえば、唯一の確固たる何かが存在しているように思えてしまう。しかし、そんなものはない。この映画を見ればよくわかる。様々な要素の網目のグラデーションがあるだけである。

 

歪めなければ物事を認識できないのが人間だ。だから、限られた情報だけで判断しなければならないのは仕方がない。これが「解釈」という行為だ。よって、人の数だけ解釈があることになる。とにかく、分かりやすい真実、嘘は存在しない。

 

 

 

ラストの意味って?

衝撃のラストという宣伝文句だったこの映画。

 

この映画は、森監督が佐村河内氏に問いかけたところで終わる。

「まだ私に嘘をついていることはありますか?」

佐村河内氏の沈黙で、この映画は終わる。最後の最後に、微妙で、矛盾に満ちた人という存在を見せつけるのだ。

 

確かに、このラストシーンは不思議だった。ここで終わるのか、と。

 

この意外性の正体こそ、私たちの常識なのではないだろうか。

 

わかりやすくオチがあるのが映画であり物語だ、というのは私たちの思い込みだ。観客は、この常識というフィルターで、映画のラストを期待している。だから、その期待の裏切りが衝撃のラストと解釈されるのだろう。

 

ラストシーンを考えよう。

「意味がある、答えがある」と、簡単に思ってしまう社会を否定したいのだと思う、監督は。

 

彼が伝えたいことは、「わかりやすさ」ではない。そう言った常識こそが奇妙で事実に反したものだ、ということだ。そのわかりやすさを求める限り、金儲けに支配されたメディアの奴隷のままだ。それが集団化を促す。とても危険な状態だ、と監督は述べている。

 

彼はこうも言っている。
「メディアには信念がない。その時、儲かることをするだけだ」

 

 

 

靴下を履いた足

ラストの作曲のシーン。なぜか変な位置から撮影している。

この画角は何を意味するのだろうか?

 

「隠し撮り」をしていることを意味すると思う。


これまでは、佐村河内氏に許可を取って撮影していた。しかし、作曲のシーンからは、隠し撮りをしていた。佐村河内氏の真実に近づくための行為だ、と解釈すべきなのだろうか?

 

いや、ここで改めて森監督の意地の悪さを感じる。「ドキュメンタリーは嘘をつく」これが、監督の言葉だ。だとするならば、一見単純なヤラセに見えるこのシーンも嘘になるのではないか。ヤラセに見える、ことすらもヤラセ。

 

森監督のしたいことは、単純さ、白黒、明白、の否定である。徹底的に、分かりやすいオチ・物語を否定する。私たちが染まっている世界の嘘を揺さぶるための、相対化するための嘘を使う。

 

 

 

「FAKE」

メディアの作る世界も。
私たちが切り取っている認識世界も。
そして、監督が作った映画も。

 

全ては、作り物だ。ある意図があり、焦点がある。

 

「クソメディア見ているなら、俺の映画の嘘にも付き合え!」という監督の声が聞こえてきそうだ。

「ありのままの真実なんてありえない」ということを、白黒つけたがる病にかかっている私たちに見せつける。

 

最後の佐村河内氏のカットの存在も、それまでの映画の内容全てを否定してしまうかもしれないものだ。やはり、私たちは「真実と嘘が存在する」という幻想をそろそろ捨てなければいけない。真実も嘘も実態はない。あるのは、やはり人の解釈だけだ。

 

監督が編集したこの映画も、決して真実を暴くためのものじゃない。

あるのは、監督がつくった嘘である。

 

この映画そのものが「FAKE」じゃん、という批評もある。そうなると、メタな構造だということになる。そのメタ構造そのものも、私たちのメディア感を揺さぶるために、強力なのだろう。

 

 

参考記事

 

www.cinematoday.jp

最後に僕が佐村河内さんに投げかけた言葉に対してどう答えたのか? という質問を必ず聞かれるのですが、『最近、年をとって忘れっぽくなったので覚えていません』と答えるようにしています」と煙に巻いた。

 

ラストシーン、あなたはどのように解釈したいだろうか?

 

 

宮台真司 批評

社会学者の宮台真司もこの映画を批評しています。この批評が、めちゃめちゃ面白い!!!

学問的な見地から、ここまで解説できるのは素直にすごい。自分自身の教養を底上げするのにも、この映画をさらに深く考えるためにも最高に役立つでしょう。

 

realsound.jp一部を引用します。

 

言語によって構成された社会システム(とパーソンシステム)を生きる我々は、真・善・美に関する二元図式によって自らを構成されているがゆえに、必然的にデタラメを免れられないのです。

 

森達也監督の表現はそもそも2段階になっています。(1)<世界>はそもそもデタラメであることを忘れるなという寓話告知の段階。(2)寓話に反してヒトを気休めの俗情(多くは超自我的な欲動)に関わる釣りで翻弄するマスコミを批判する段階。

 

その意味で主軸は飽くまで「<世界>はそもそもデタラメであり、<社会>とは所詮その程度のものだ」とする寓話性にあります。単なる個別メディア批判を超えた寓話性ゆえに僕は過去二十年、<遅れ>をキーワードに森達也監督の表現を全面的に支援してきました。 

 

精神分析学、社会システム理論、哲学など、深い分析が満載の批評になっている。おすすめ。

 

こんな批評を見せつけられると、「まだまだ映画を楽しめるな」と鼓舞されますね。

 

 

 

関連記事

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まとめ

・絶対的な「答え」はない

・あるのは揺らぐ解釈だけ

・社会を二分化したがる傾向は危険

・メディアには信念がない。その時儲かることをするだけ。

 

 

 

追記

とても、面白い映画です。先の騒動に興味がない人でも、人と社会を知るという深さが味わえる作品です。

 

是非これからも、こう言ったテーマで考え続けてみてください!!

 

本ブログがその考える材料になることができたなら、とてもうれしい。是非また、読んでみてください。

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「トートロジー」の意味、使い方 【あなたが騙されないために】

トートロジー」という言葉、使っていますか?

 

「それってトートロジーだよね。」

 

このように、「トートロジー」という言葉、耳にする機会があるかもしれません。

 

そんなトートロジーという言葉、正しく使えている自信はあるでしょうか。

日常会話での使い方、論理学における使い方、それぞれ分析することで、トートロジーという概念の意味を分かりやすくつかんでみましょう。

 

今回の記事を読み終えると、「論理的であるにはどうすればいいか」について一歩深められるはずです。必ず日々の思考に役立ちます。

 

数学で論理を学び始めた高校生、大学生にも、日常生活で言葉に気をつけたい方にもオススメです。

 

トートロジー 辞書より

 

同語反復
命題論理で、要素となる命題の真偽がいかなるものであっても、常に真となるような論理式。恒真式。

 

トートロジーとは - コトバンク

 

主に二つの意味があるようです。

今回の記事では、両方を確認します。そうすることで、より深くこの概念を知ることができるはずです。

 

 

日常会話でのトートロジー

日常会話で使われることもあるトートロジーという言葉。正確に意味を把握できている自信はあるでしょうか。

 

日常会話において、この言葉の意味は、「同語反復」です。

 

では、具体的に確認してみよう。

 簡単な構造の例としては、

 

「青は何で青いの?」

「青いから、青なんだよ」

 

これがトートロジーの構造です。同語反復による主張は、論理的かのように聞こえます。しかし内実は、その主張に根拠を全く与えていません。なんの説明にもなっていないことが分かります。何かを主張したい時に、同語反復をしていては全く説得力がありません。

 

中身の文章が長くなっても同様ですが、その場合、トートロジーという構造に案外気がつかないことが多い。よくよくその根拠に注意したいところです。そのためにも、理論武装の基礎を確認しておきたい。

 

f:id:asc_meta:20190206162743p:plain

 

 

次の佐藤優氏の指摘では、国会の討論レベルでもトートロジーが見られます。擬似的な主張に惑わされてはいけません。

gendai.ismedia.jp

自衛隊が派遣されている地域が非戦闘地域だ」

 

これを受けて、野党が「ならば自衛隊はどこに派遣されるのか」と聞くと、さらに小泉氏は、

 

「それは、非戦闘地域だ」

 

と答えた。どこまでいっても堂々巡りです。

 

堂々巡り、つまり、トートロジーがあることがはっきりとわかりますね。

 

続いて、論理学におけるトートロジーをチェックしましょう。

 

 

論理学におけるトートロジーの定義

野矢茂樹氏のこの本が参考になりました。

論理学

論理学

 

 

トートロジー 原子式の真理値によらず、常に真となる論理式

 

矛盾式    原子式の真理値によらず、常に偽となる論理式

 

トートロジーの定義は上の通り。

原子式P、Qなどの真偽がどちらであれ、全体の論理式が常に真になるものをトートロジーと定める。

 

例をあげます。

 

排中律 P ∪ ¬P

 

これは、Pの真偽がなんであれ、全体は真になります。

Pは、真か偽のどちらかです。しかし全体は真になります。これは、「 ∪ (または)」のどちらか片方が真であるならば、全体も真になるという定義からです。

 

論理学について興味を持てたでしょうか。以前に、論理学入門についてまとめています。

 

interaction.hatenadiary.jp

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トートロジーはどんな意味を持つのか?

命題論理の「論理的真理」を規定するために、このトートロジーという概念は使われます。

トートロジーでないものは、PやQの真偽という世界のあり方に影響されてしまう。しかし、トートロジーは、PやQの中身、つまり世界のありかたには全く無関係です。それゆえ、論理学における「真理」になります。

 

そもそも真理ってなんなのだろう。よく考えれば深い疑問です。今回、このトートロジーという考え方を通して、真理とはどういう概念にするべきか、やや分かったと思います。こんなテーマは面白いですよね、大きな収穫でした。

 

 

トートロジー」という概念の歴史

トートロジーという概念がどのように生まれ、重要な意味を持つに至ったのか。その背景については、こちらが参考になる。論理学がどのようにコンピュータサイエンスの基礎になっていくのかを把握することはいい勉強になります。

 

1269夜『史上最大の発明:アルゴリズム』デイヴィッド・バーリンスキ|松岡正剛の千夜千冊

 

 

教養

本記事があなたの教養に役立てたなら、と思います。

教養とは自分がわかることだ、と私は定義したい。ぜひ読んでみてください。

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