好きをブチ抜く

「好き」をブチ抜く

本、映画、科学、哲学、心理、すごい人の考え方など。あらゆる情報を編集したい。

なぜあなたは映画を見るのか?【別人へと変貌させられる映画】

記事の内容 映画体験の本質とは?

 

みなさんは、映画が好きだろうか?

 

今回は、映画を見る理由について、もっと深めて考えてみたい。

 

・なぜあなたは映画を見たいのか?

 

・あなたにとって映画体験とは、どのような可能性をもつのか?

 

・商業映画に対する違和感を感じていないか?

 

・お金儲けのための映画と、心に響く映画の違いはなにか?

 

・なぜあの映画はこんなにも心に残っているのか?

 

少し考えてみると、こうした疑問を持ってしまうのではないか。映画が好きな人ほど、現状の日本での映画産業を眺めていると、いろいろな考えが浮かんでくるかもしれない。

 

映画評論家として有名な町山智浩氏の言葉が、これらの問いを考えるためにとても参考になった。やはり、彼の経験からくるその主張は、とても「凄い」と感じる。

 

まず、その言葉を紹介したい。

 

今回の記事を読み終えると、これら問いについての思考が一歩深まるはずだ。映画とあなたの人生との関係について、もっと考えられるような機会になれたなら嬉しい。

 

 

 

 

 

 

 

f:id:asc_meta:20181012215930j:plain

雨の中、空を見上げてみたら...

こんな出会いが映画の中にないだろうか?

 

 

それでは、本文に移ろう。

 

 

 

 

 

 

 

町山智浩の言葉

 


【神回】町山智浩 なぜ映画を観るのか?どんな映画を観るべきか?

 

 

 

 

映画評論家、町山智浩氏はこう言う。

 

 

「フラストレーションの発散のために映画をみろ。」
 
 
 
 
 見た後、見る前では全然違う人間になれるような映画がある。」
 
 
 
非常に納得できた。
 
私が、映画に求めていることの正体がわかった気がする。もちろん、映画は色々な楽しみ方ができる。けれど、その中でも私がとくに重要視するのは、映画のこんな側面なのだろうな、と確信できた。
 
町山さんのこの言葉を元に、私なりに色々と考えてみたい。
 
 
 
 
 
 
 
 

平均という幻想、消えるトゲ

 
町山さんが言うような映画ではないものを考えてみよう。世の中で一般的にメジャーなのは、そういった映画だろう。
 
なぜなら、より多くの人に見てもらえるように作られたものだからだ。対象を広げている。そうすると、ターゲットにするのは「平均」になる。
 
しかし、平均的な人間など本当はどこにもいない。平均とは、計算上の幻想でしかない。そして、”ある特定の個人像” が無くなれば、"トゲ" も消えてしまう。
 
そう、ある個人に刺さるトゲが薄くなるのだ。これは、映画に限らず、表現ということには、必ずつきまとう問題でもある。
 
ブログだってそうだ。誰に向けて書くのか。誰に自分の思いを届けたいのか。
 
映画の目的に戻ろう。
 
このような映画の目的は、あくまでもお金儲けだろう。
 
だから、これこれつめとけば売れるでしょ、という戦略を土台にしている。商品の売り上げを増やすにはどうすればいいのか、というマーケティングと同様だ。
 
これの最も大きな弊害とはなんだろう。
 
それは、作り手が心から表現したいことが軸にならない、ということだと思う。
 
なぜなら、あくまでも商品として、マーケティングというフレームで作成されるからだ。
 
当たりそうな要素を計算可能なものとして、つめこむ。
 
ここでは、計算できないような個人のトゲ、つまり、心から表現したいことは邪魔ものになってしまう。
 
マーケティング戦略にとって、「個人の強い思い」はコントロール外なのだ。
 
だから、計算によって導ける「平均」というものを、対象にとる。こうして、あらゆる要素が平均化された映画が誕生する。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

作り手はなぜ、その映画を作らなければならなかったのか

 
一方、フラストレーションが発散できるような映画には、
 
 
どうしてもその映画を撮って伝えたいことがあるんだ!!
 
これを表現せずには生きられない!!!
 
 
といった作り手の「人生をかけた叫び」が詰まっている、と町山さんも言う。
 
そこには、彼らの迷いに迷った、悩みに悩んだ深い経験がある。
 
生の体験に基づいた爆発だからこそ、人を感染させることができる。「傷ついたことがない人間の言葉には誰も感染しない」これは、社会学者 宮台真司の言葉だったように記憶している。
 
 
 
 
 
 
 
 

別人になる

 
トガったその思いは、確実に誰かの「生きづらさ、欲求」とシンクロする。”あなた” がいて、監督という作り手がたしかにそこにいる。だからこそ、ぶつかることができる。
 
薄っぺらく感情のこもっていないものに、人は本気になれるだろうか?
 
作り手の「迷い、悩み」と、観る側の「迷い、悩み」があってこそなのだ。迷いや悩みといった苦しい感情は、「本気」を生む。
 
だから、作り手が映画を撮って表現せずにはいられないほどの、彼らがたどり着いた決意、決断に、私たちは心を大きく動かされる。
 
彼ら作り手は、自身の体験を通して、「別人へと変貌」した。そこには、力強い決断がある。
 
だから、私たちもそんな映画を見れば、観る前とは全く違う人間にならざるえないような体験ができるのだろう。
 
私自身、悩みに悩んだ、迷いに迷った経験がある。
そんな時に見た感染力の強い映画は、忘れることができない。
 
確実に、私を別人にしてくれた。新たな決意が溢れた。
 
これら諸々の映画体験がなければ、今のこの私はありえないだろう。
 
 
 
 
 
 
 
 

あなたも出会える

ある人の「こだわり」なのだから、ある経験を共有している人だけに届くのかもしれない。これはつまり、あなたに合う映画がたくさんあるわけではないことを意味する。しかし、出会えば確実に、見た後見る前では全然違う人間になれる映画が存在するはずだ。
 
自分のその時の気分に合わせ、幅広く映画を探すのがいいかもしれない。ネット上で探すだけではなく、レンタル店でぶらぶら歩いてみるのも、思いがけない出会いにつながると思う。
  
 
あなた個人と映画の関係について、トラウマという視点からも考えています。こちらもおすすめです。
 
 
 
 
 
 

今後の分析

フラストレーションが発散できるという現象のメカニズムについても、欲求、無意識、人格形成などの観点から考えてみるのは面白そう。
 
映画を通して、自分自身のことがわかる。自分を知り、自分から自由になるために、様々な先人たちが知恵を絞ってくれている。とくに、心理学、精神分析などの概念が気になるところ。ラカンの精神分析学の哲学をちょっとかじりましたが面白いものです。
 
 
こちらで映画を見た感想をいろいろと書いています。皆さんの心に刺さった映画を教えてもらえるとうれしいです。

interaction.hatenadiary.jp

 

 

 

 

 

 

まとめ

 
 
・フラストレーションを発散させてくれる映画がいい
・見る前、見た後では全然違う人間になれる映画がある
 
 
なぜ、映画を見たいのか。
 
その理由が一歩深まったでしょうか?
 
 
本記事が、誰かの自由につながったならとてもうれしい。