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ジェイコブス・ラダー 【解説・考察・ネタバレ】 自分から逃げたままで死ねるかぁ!

記事の内容

今回は、ある映画について紹介します。

 

それは、カルト的映画 ジェイコブス・ラダーです。

 

この映画から感じるイメージは次のようなものでした。

 

・混沌した無意識

・混沌とエロス

・異形の者たち

・悪魔的なトラウマ

・精神と受容

 

一部の人の間では、伝説的な人気を誇るこの映画。有名ゲーム「サイレントヒル」も、この作品からインスピレーションを受けたと言います。

 

私は、上に挙げたようなテーマを感じました。とくに、「自己受容」というテーマがきになっています。

 

「自分で自分を認めることができているか」

 

これは、とても身近な話題ではないでしょうか。

もっと考えておきたいテーマです。

 

今回の記事では、この映画のテーマに関する考察をまとめていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

あらすじ

 

1971年ベトナム戦争中のベトナム。ジェイコブ・シンガーは仲間の兵士たちとくつろいでいたが、突如敵兵の接近を告げられる。銃撃戦により仲間は次々と死亡、ジャングルに飛び込んだジェイコブも何者かに腹部を刺される。だが次の瞬間、ジェイコブはニューヨークを走る地下鉄の車内で目を覚ます。

恋人のジェジーと同棲し、ごく普通の郵便局員として生活するジェイコブだが、彼の周囲に奇妙な出来事が起こり出し、夜は悪夢にうなされるようになる。徐々に現実への違和感を覚えるジェイコブ。ある日、ベトナムでの戦友ポールが現れ、ベトナムからの帰還以来、誰かに追われていると語る。ジェイコブは「1971年のあの日に何かが起こり、軍は何かを隠している」と弁護士のギャリーに相談を持ちかけるが…。 wikiより

 

 

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わ〜、いやーな表紙です........厭な感じ。

 

 

 

 

 

 

テーマは自己受容?

  

「死を恐れ生き長らえていると、悪魔に命を奪われる」


「死を受け入れると、それらから解放されて悪魔は天使に変わるんだ」

 作中のルイ先生の言葉

 

潜在意識の混沌さ、それに振り回される意識。その混沌さが叫ぶように訴える。だから、心をひっかくような印象的なシーンが生まれるのだろう。

 

とても「こころ」をテーマにした映画だと思う。

 

 

 

 

 

印象的なクラブのシーン

 

私には、最高に刺激的だった。エロスが刺さる。
この世のものではない「異形な何か」と人がファックする。毒々しい造形が気持ち悪い。けれど、最高にエロい。生理的に、本能的に反応せざるえない「凄さ」があるからだと思う。

 

良い悪いという価値観はさておき、人は、普遍的に反応してしまうのではないだろうか。たとえば、差別やいじめに人が過剰に反応してしまうように。こういったエロスの表現がたまらなく好きですね。他にいい映画がないものか...

 

 

 


 

伝説的な病院のシーン


うーん凄まじい。気が狂わんばかりの描写の数々。


「ここで<異>なのは俺たちじゃない、お前の方だ!」と言わんばかりに、異形なものたちが闊歩する。ここは、異形なものたちの「世界」だ。

 

ジェイコブの潜在意識がこう訴えているのかもしれない。無意識の領域には、<異>も<普通>もない。境界なく「わたし」なのだと。この全部を認めろ、と。

 

この映画は、こうした無意識レベルで拒否したくなる雰囲気の構成が本当にうまい。トラウマ的シーンをいくつも作り出す。これだけトゲがある映画なのだから、確実に引っかかるところがある。

 

 

 

 

 

本当に自分を認められているのか?

中心的なテーマは、<自己受容>という概念だろうか。

 

自分を認めるということを実感できているか?

自分と向き合うことから逃げている人が多いのでは?

 

ほとんどの人は、インチキな自己肯定をしているように見える。たとえば、仕事や年収、親という地位。社会に作られた「役割」に、自分の存在価値を求める。しかし、これらは、夕飯に何を食べたのかと同じくらい、実存の本質的なものではないだろう。

 

親になれば、年収が高ければ、それだけで幸せになれるだろうか。いや、違う。

 

自分を認めるということは、そもそもなぜ重要なのだろうか?

それは、あなたの「幸せ」と関係があるからだとおもう。

 

幸せな人は、自分を偽らなくて済んでいるように見える。自分の感情に素直になれている。蓋をしていない。素直な自分というものを感じられている。一方、生きづらい人はどうか。自分を閉じ込めている。閉じ込めさせられている。だから、社会で生きるのがどことなく苦しい。身体が辛さを訴える。

 

外的な要因、何かと比較することで自分を維持しようとする。これでは、その比較に終わりはない。そうではなく、ここにある私だけを、ありのままの私を認めてあげたい。これが自己受容につながると私は思う。

 

そんな私たちに、この映画は「自分を受容せよ」と訴えてくる。ありのままから逃げている私たちだからこそ、この映画のジェイコブの辛さが身にしみるのかもしれない。

 
さてさて、そんな混乱している潜在意識は、どう終わるのか?そして、その「終わり」を認めるのは誰か?

 

「ジェイコブという意識」は、満足できるのだろうか?


色々と考えられた映画だった。画が強いだけではない。

 

 

 

 

 

 

 

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こちらでも感想を書いています。

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心、自己受容

 

心についてよく考えられる映画でした。次の記事でも考えています。

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「自己受容」というテーマを考えるにはこちらの本がおすすめです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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